ネパール

ネパール旅行記

2006/12/10 ~ 2006/012/27

目次


目的地探し

航空券購買でミスしてインドに嫌われる

例によって仕事に翻弄されて休みが確定したのが一週間前。 出発一週間きっているのでたいした予定を立てることができず。期間は19日もあったので、シーズンも良い念願のインドと、こちらもいつかは行きたいと思っていたネパールを合わせていけるなと、ネパールinインドout航空券を探すも、日本からのそういういいチケットはない。ではバンコク手配しようととりあえずバンコク単純往復券を購入した。が、これが最大の裏目に・・・。

すぐに買えると思っていた行きのカトマンズ行きチケットはバンコク到着3日後になってしまい、無駄な時間をタイで過ごすことに。帰りのチケットに至っては年末パワーでネパールからもインドからもまったくないと言われる。迷ったがいけばなんとかなると信じていく(実際は、行き帰りのロイヤルネパール航空は空席が目立つ。チケットがなかったのか疑問)。

帰りは結局安全策を取ってネパールでカトマンズoutを手配。またバンコクで2日つぶす羽目になり、休みの多さの割には目的地での時間は少なく、値段も高くついたし、全体として移動時間も膨れ上がった。ストップオーバー的な移動は空港までの移動や待機の面倒さや空港使用料や出国税がかさむことも計算に入れるべきものだ。

「バンコクに飛んでからなんとかする」は安く自由に旅をアレンジする常套手段と思っていたが、よほど時間があるか、バンコク発ならではの便に乗りたい旅行者以外は薦められない。自分はもう2度とこの手段は使わない気がする。

窓に外にはヒマラヤ

<計画と実績>

結局インドにいけなかったことで、予定と実績は大きく食い違った
当初の予定実績
12/10Unitied 23:40 タイ バンコク
12/11アユタヤ同左
12/12アユタヤ~バンコク同左
12/13ネパール カトマンズへ(RA 402)同左
12/14カトマンズカトマンズ~ナガルコット
12/15カトマンズ~ポカラナガルコット~カトマンズ
12/16(土) ポカラカトマンズ~ポカラ
12/17ポカラポカラ~トレッキングday1
12/18スノウリ(インド国境)トレッキングday2
12/19ベナレス(インド)トレッキングday3
12/20ベナレストレッキングday4
12/21ブッダガヤトレッキングday5
12/22カジュラホトレッキングday6
12/23(土)アーグラートレッキングday7~ポカラ
12/24デリーポカラ~カトマンズ
12/25デリーカトマンズ~バンコク
12/26デリー -(空路:現地手配予定)> バンコクバンコク
12/27成田 14:15 (UA)

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省察

自由旅行の愉しさ (ネパール入国より)

あやしいトムジュリ
バンコクからの出国。ロイヤルネパール航空は何の説明もないまま、出発時間の延期を繰り返し、何もないゲート付近で待ちぼうけ。夕日に輝くヒマラヤを見ることができたのはよかったが、一日がかりの移動になってしまった。
ネパールでは観光ビザを入国時に取得できるのだが、そのプロセスの説明が空港のどこにもない。VISA アプリケーションという列がいくつかあるのでその一つに並ぶ。散々待って自分の番が来ると「先にあそこでお金を払え」と言われた。しかし、"あそこ"は並んでいる列の一つでしかなく、お金を払う場所であるようなサインはまったくない。これでは分からない。

やっと空港を出ると、客引き達がたくさん待っている。「宿見るだけ!もし気に入らなかったら交通費100Rpだけ払えばいいから」と言う。タクシーだと街まで350Rpらしいので乗ってゆくことに(ここの客引きは危険ではないとの情報を事前に得ていた。インドだったら無理)。ちょうどカトマンズは日次の計画停電の時間帯(夕刻1~2時間)で、市街も暗い。店ではロウソクを灯していたりした。最初なのでこの暗さが普通の状態だと思ってびっくりした。
もう夜だったし、最初に連れて行かれた安めのホテル(個室シャワーつき4$)に決めた。 ネパールの観光地では、旅行者の数に対して宿が過剰にあり、特にオフシーズンである冬などには、価格競争が激しくなっているようで、宿は、宿泊料ではなくてツアーアレンジなどで利益をあげているようだ。


あやしいUNIQLO
チェックインした私の元にもさっそく勧誘。「私があなたのツアーマネージャーです」とさも当然のごとく。旅行者が街を歩いてその国の物価や相場を知る前に多額の契約を取るのがぼったぐりツアー業者の常套手段である。「自分自身の足で気の赴くようにその土地をまわることに旅の意義を感じるので」と断ったのだが、しつこいので、どのくらいぼったぐるつもりなのかを確認してみるかと、ちょっと付き合ってみることにした。
2日間で私の行きたいと思っている場所をすべて回ってくれる、英語ガイド&ホテル食事&車つきツアー。この値段をなかなか教えてくれない。「すぐ近くのオフィスに来たらすぐ見積もり出せる」とまた訳の分からないことを言う。ここまで来たら絶対知りたいと思って、帰り道(逃げ道)を確認しつつ、オフィスへついていく。一応用心して飲み物にも手を出さず。

結局そこでも時間がかかり、ようやく2.5万円ほどであることが判明。彼は過去の利用者のよい感想が多数つづってある連絡帳を見せてくれた。先進国だとしたら内容を考えれば安いし、何も憂うことなく見たいところを回ることができることにお金を出す人もいるだろうと思う。需給一致していればそれでいい話なのだが、この国でその額は本当に大きな額である。物価を知らないことに付け込んで原価の5倍~を要求するような、こういう商売を成り立たせることがこの国にとっていいのか?という思い強し。 とにかくも値段を確認するという目標を達成した私は「高すぎるよ」と席を立つ。「いくらならいいの?」と言うので「最初に言ったとおり自由旅行をしたいからいくらでも嫌」と言ってオフィスから逃げ去った。時間とって申し訳ない。

実際のところ、自分の選んだ手段で、自分の選んだ道をゆき、ローカルのモノ、食べ物、人、といったものとお触れ合うのが旅の醍醐味である。持ち時間(計画&実施)、交通事情、コストパフォーマンス、治安、寂しさ、という要素次第ではツアーを選択するものの、基本的にはその醍醐味を捨てることはできない。


カオス電線
たとえば、カトマンズ近郊でローカルバスの乗り場を探している。 旅人を見つけたタクシードライバーが「タクシー?」と勧誘してくる。「いや、バスでいくよ」というと、彼はわざわざバス停を教えてくれる。インド人ならば「今日のバスは終わったよ」と言ってくるところだろう。国民性の見えるシーン。

そして、バスに乗る。
満員と思ってからさらに2倍の乗客が乗るまで出発しない。車の屋根上から車内に至るまで人人人。東京の通勤ラッシュが2次元ならば、こちらは3次元の込み具合である。普通に立てない天井の低さと大小の乗客入り乱れで身体は自然にバリダンス形態へ移行。バスのへたったエンジンはその人々を運びきれず、推定時速15km。タクシーで行けば30分の道のりなのに2時間の苦行ダンス。へとへとだし計画は崩れ去ってしまうしで、散々である。

しかし、そういう交通事情を体験知したり、その間の乗客の様子を観察したりすること自体が、旅の魅力でもある。バスの中で乗客が合唱しているシーンなんて日本ではお目にかかれない。自分がこういうところで生まれ育っていたら、どうなっていたかな、などと想像しながら、自分の中の開花した/しなかった可能性に想いを馳せるのもいとをかし。

世界に対して閉ざされた人 国民の幸せと国

ナガルコットからサクーの村に続く山道を歩く。写真を撮ってくれとかお菓子くれとかいう子供多数を相手にしたりしなかったりしながら進むと、畑仕事をしていた青年が片言の日本語で話しかけてきた。こういう人はたいがい怪しいのだが、ちょっと時間があったので相手をしてみることに。

素朴な石組みの家にあげてもらってネパール茶を飲む。文通している日本人とのやりとりを見せてくれる。雑談していると「家族にも見せたいから今日泊まってゆきなよ」と言ってくる。それもまた面白そうであるが、魂胆が読めなかったのと、次の日にはポカラに移動したかったのでとりあえず断る。

写真撮ってパターンの一つ
ローカル茶を飲んで一段落話をすると彼は、ある日本人の援助で建てられたという村の学校を見せてくれるというのでついてゆく。学校はちょうど終業したところで、子供がはしゃいでいる。彼は校長である自分の父親に紹介したいというので、会った。彼は私に名前とネパールが何日目かお約束で聴く。次に仕事。私が「ソフトウェア会社で働いている」と答えると彼は「それはいいね。うちの学校にもPCを導入したいのだけれど、高くて買えやしないよ」とおもむろに PC のカタログを取り出して、私に見せる。日本とほぼ同じ値段なので、物価にしたら相当な値段。「性能落とせば安いものもきっとありますよ」なんて話をした。展開が自然な初対面の会話じゃなくて、寄付くれくれ的になっているのをここで既に感じてちょっと嫌な気持ちで、次にどう続けていいのかわからなくなった。
すると、次に彼はアルバムを取り出して見せる。「前に、35000ルピー寄付してくれたオランダ人がいた」と。アルバムにはオランダ人が学校で表彰されている写真がたくさん乗っていた。そして、沈黙。

大変に露骨である。そこに秘められたストーリーは語られない。ただ、多額寄付して感謝された外国人がいるよ、という事実を見せ付けられて、何を言えばよいのか?
なんとなく想像されていた結末ではあったけれど、悲しさと苛立ち。その不器用なやり口に、自分も器用には立ち振る舞えずに、「それで、私にも寄付して欲しいと言いたいわけ?」と聴いた。校長は答えないという形でそれを認めた。その息子は「そういうつもりではなかった。気を悪くしたらごめん」と言うが、説得力がない。私は「自分はこの国のことがよく分かっていないから、どうするべきなのか判断できない。だから、寄付はできない。」と言って、でも、もう一度顔を見てしまったから、500ルピー札を渡さざるを得ない気持ちになって、そして、私は引き止める彼を払ってもう出発する、と言った。

本当は「こんな展開は失礼だ」とか言いたい気持ちがあったのだが、本当にそういい切っていい自信がなくて、飲み込んだ。そして、山道を歩きながら考えた。

彼らのやり口は露骨ではあるが、自力ではいかんともしがたい不足があって、国も誰も助けてくれない状況にあるとして、世界に発信する手段を持たない山村で、状況打破のために何ができるのか?ということを考えると、通りがかりの旅人を捕まえて・・・というのが第一解であり、その外に広がる世界との唯一の接点に頼らなければならない状況にあったとしたら、ああいう接待になってしまうのも、自然な成り行きなのではないだろうか?などとうだうだ。

しかし、観光客の通り道にある学校だけが潤う。それでよいのか?幾千とある学校の中で、幾つかの観光ルートにある村の学校だけが、時に旅人を捕まえることで、国から十分に受けられない援助を補う。それでは根本的な解決にならない。いや、しかし個人ができることとして、少なくとも何人かが満足な教育が得られる結果を残せるとしたら、それがよいことでなくてなんなのか?

しかし、その教育の先に何があるのか?旅人からお金を寄付してもらって、旅人の国の生活に近づかいた先に彼らの幸せが本当にあるのか?パソコンのある生活が幸せへの道なのか?ノー。単に違う形態の生活が、後戻りのできない場所に待っているだけかもしれない。だから、寄付はしないほうがよい、などとうだうだうだ。

そして、ブータンの国のあり方(伝え聴くところからの理解だけなのだが)は一つの素敵究極系なのかもしれない、という結論に。旅行者から一律で高額な旅行費を公式に徴収する。そして、そのお金は、貨幣を大量に持つ旅行者と接点のある人にだけでなく、国民全体の幸せのために使われる。お金による幸せの実現ではなく、人を幸せにするためのお金、という位置付けを忘れず、お金持ちの国の後を追うような真似はしない。あるべき姿に向かおうとする限り、心は満たされることがない。国レベルで仏教が生きているのが、ブータンのように見える。素敵だ。

ネパールは旅行者からそれなりにはお金を徴収するものの、現地の人の話を聴くと、それは王の私腹の肥やしになって、国民に還元されてこなかったそうだ。教育、電力不足、交通などのインフラに十分な投資がされないのを、国民がなんとかしようとして、直接旅行者からお金を引き出そうとする。結果、お互いによい気分ではなくなる。
このよろしくない事情はしかしこれから変わろうとしている。ネパールでは革命が起こって、民主化。王は実質権力を持たなくなったそうである。次に来たときに、この国がどんな姿を見せてくれるのか、楽しみである。

旅のデータ、予算など

為替レートのおよそ(2006/12)
ネパール 1R(ルピー) ≒ 1.6 円

旅で主要となる宿&食べ物&交通 の物価は感覚として日本を100とすると
バンコク 25
ネパール 15

<交通>

飛行機

成田 <-> バンコク \64000(UA 全込)
バンコク <-> カトマンズ \30000*2(片道*2 ロイヤルネパール 全込)

電車

ネパールに電車はない。
バンコクには、1999年に行った時には影も形もなかった地下鉄ができていた。シンガポールのものとほぼ同じ。新しいだけあって綺麗であるが値段は高く、街の中を少し移動しただけでバンコク~アユタヤ間の2等車両と同じ値段になった。もっと安くもっと張り巡らして、慢性渋滞をなんとか緩和して欲しいものだ。

バス&タクシー

ネパールでは車が主な移動手段。タクシーも高くないが、バスは本数も多いし便利。問題はカトマンズの渋滞。特に通勤時間帯などは気が狂いそうになるほど進まないので、余裕を持ったプラン作りが必要。車の性能は平均して悪く、スピードは遅いことが多い。カトマンズ周囲なら自転車を借りての移動のほうがよいかもしれない。ただし、事故率高いので保険は必要。


<持ち物>

バックパックでなくリュックで。重量体積の半分以上はカメラ関連。服は毎日洗濯、を想定。

軽量一眼レフ(リバーサルフィルム*14、レンズ*3 24-105mm,50mm,100-300mm)、ミニデジカメ(DimageXt+メモリ768M+充電器)、服(下着1日分、トレーナー、保温下着、ウインドブレーカー、指なし手袋、本*2、ガイドブック*2、めがね、コンタクトレンズ(使い捨て)、サングラス、下痢止め(中華製)、バファリン、抗菌薬、ひも、石鹸、シャンプー、剃刀、腕時計(防水、アラーム)、帽子、証明写真*2、現金150$、TC300$、タイバーツ少々、クレジットカード、CITIBANKカード、日記ノート、ペン*3、ミニ名刺*多

持ち物が軽いのは自由旅行では大変重要である。 街に着いた際に宿を見つけて荷物を置かないと行動できないのはロスが大きいし、手荷物を航空機内へと持ち込むことができるのも大きい。その分頻繁な洗濯が必要になるが、軽さメリットにはかえられない。
が、ネパールにはお茶、香辛料、トレッキング用品などに魅力的なお土産が多く、最後はビニール袋下げての帰国になり大変だった。無駄でもパックを持っていけばよかった。

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