すぐに買えると思っていた行きのカトマンズ行きチケットはバンコク到着3日後になってしまい、無駄な時間をタイで過ごすことに。帰りのチケットに至っては年末パワーでネパールからもインドからもまったくないと言われる。迷ったがいけばなんとかなると信じていく(実際は、行き帰りのロイヤルネパール航空は空席が目立つ。チケットがなかったのか疑問)。
帰りは結局安全策を取ってネパールでカトマンズoutを手配。またバンコクで2日つぶす羽目になり、休みの多さの割には目的地での時間は少なく、値段も高くついたし、全体として移動時間も膨れ上がった。ストップオーバー的な移動は空港までの移動や待機の面倒さや空港使用料や出国税がかさむことも計算に入れるべきものだ。
「バンコクに飛んでからなんとかする」は安く自由に旅をアレンジする常套手段と思っていたが、よほど時間があるか、バンコク発ならではの便に乗りたい旅行者以外は薦められない。自分はもう2度とこの手段は使わない気がする。
<計画と実績>
当初の予定 | 実績 | |
12/10 | Unitied 23:40 タイ バンコク | |
12/11 | アユタヤ | 同左 |
12/12 | アユタヤ~バンコク | 同左 |
12/13 | ネパール カトマンズへ(RA 402) | 同左 |
12/14 | カトマンズ | カトマンズ~ナガルコット |
12/15 | カトマンズ~ポカラ | ナガルコット~カトマンズ |
12/16(土) | ポカラ | カトマンズ~ポカラ |
12/17 | ポカラ | ポカラ~トレッキングday1 |
12/18 | スノウリ(インド国境) | トレッキングday2 |
12/19 | ベナレス(インド) | トレッキングday3 |
12/20 | ベナレス | トレッキングday4 |
12/21 | ブッダガヤ | トレッキングday5 |
12/22 | カジュラホ | トレッキングday6 |
12/23(土) | アーグラー | トレッキングday7~ポカラ |
12/24 | デリー | ポカラ~カトマンズ |
12/25 | デリー | カトマンズ~バンコク |
12/26 | デリー -(空路:現地手配予定)> バンコク | バンコク |
12/27 | 成田 14:15 (UA) |
やっと空港を出ると、客引き達がたくさん待っている。「宿見るだけ!もし気に入らなかったら交通費100Rpだけ払えばいいから」と言う。タクシーだと街まで350Rpらしいので乗ってゆくことに(ここの客引きは危険ではないとの情報を事前に得ていた。インドだったら無理)。ちょうどカトマンズは日次の計画停電の時間帯(夕刻1~2時間)で、市街も暗い。店ではロウソクを灯していたりした。最初なのでこの暗さが普通の状態だと思ってびっくりした。
もう夜だったし、最初に連れて行かれた安めのホテル(個室シャワーつき4$)に決めた。
ネパールの観光地では、旅行者の数に対して宿が過剰にあり、特にオフシーズンである冬などには、価格競争が激しくなっているようで、宿は、宿泊料ではなくてツアーアレンジなどで利益をあげているようだ。
結局そこでも時間がかかり、ようやく2.5万円ほどであることが判明。彼は過去の利用者のよい感想が多数つづってある連絡帳を見せてくれた。先進国だとしたら内容を考えれば安いし、何も憂うことなく見たいところを回ることができることにお金を出す人もいるだろうと思う。需給一致していればそれでいい話なのだが、この国でその額は本当に大きな額である。物価を知らないことに付け込んで原価の5倍~を要求するような、こういう商売を成り立たせることがこの国にとっていいのか?という思い強し。 とにかくも値段を確認するという目標を達成した私は「高すぎるよ」と席を立つ。「いくらならいいの?」と言うので「最初に言ったとおり自由旅行をしたいからいくらでも嫌」と言ってオフィスから逃げ去った。時間とって申し訳ない。
実際のところ、自分の選んだ手段で、自分の選んだ道をゆき、ローカルのモノ、食べ物、人、といったものとお触れ合うのが旅の醍醐味である。持ち時間(計画&実施)、交通事情、コストパフォーマンス、治安、寂しさ、という要素次第ではツアーを選択するものの、基本的にはその醍醐味を捨てることはできない。
そして、バスに乗る。
しかし、そういう交通事情を体験知したり、その間の乗客の様子を観察したりすること自体が、旅の魅力でもある。バスの中で乗客が合唱しているシーンなんて日本ではお目にかかれない。自分がこういうところで生まれ育っていたら、どうなっていたかな、などと想像しながら、自分の中の開花した/しなかった可能性に想いを馳せるのもいとをかし。
満員と思ってからさらに2倍の乗客が乗るまで出発しない。車の屋根上から車内に至るまで人人人。東京の通勤ラッシュが2次元ならば、こちらは3次元の込み具合である。普通に立てない天井の低さと大小の乗客入り乱れで身体は自然にバリダンス形態へ移行。バスのへたったエンジンはその人々を運びきれず、推定時速15km。タクシーで行けば30分の道のりなのに2時間の苦行ダンス。へとへとだし計画は崩れ去ってしまうしで、散々である。
素朴な石組みの家にあげてもらってネパール茶を飲む。文通している日本人とのやりとりを見せてくれる。雑談していると「家族にも見せたいから今日泊まってゆきなよ」と言ってくる。それもまた面白そうであるが、魂胆が読めなかったのと、次の日にはポカラに移動したかったのでとりあえず断る。
大変に露骨である。そこに秘められたストーリーは語られない。ただ、多額寄付して感謝された外国人がいるよ、という事実を見せ付けられて、何を言えばよいのか?
なんとなく想像されていた結末ではあったけれど、悲しさと苛立ち。その不器用なやり口に、自分も器用には立ち振る舞えずに、「それで、私にも寄付して欲しいと言いたいわけ?」と聴いた。校長は答えないという形でそれを認めた。その息子は「そういうつもりではなかった。気を悪くしたらごめん」と言うが、説得力がない。私は「自分はこの国のことがよく分かっていないから、どうするべきなのか判断できない。だから、寄付はできない。」と言って、でも、もう一度顔を見てしまったから、500ルピー札を渡さざるを得ない気持ちになって、そして、私は引き止める彼を払ってもう出発する、と言った。
本当は「こんな展開は失礼だ」とか言いたい気持ちがあったのだが、本当にそういい切っていい自信がなくて、飲み込んだ。そして、山道を歩きながら考えた。
彼らのやり口は露骨ではあるが、自力ではいかんともしがたい不足があって、国も誰も助けてくれない状況にあるとして、世界に発信する手段を持たない山村で、状況打破のために何ができるのか?ということを考えると、通りがかりの旅人を捕まえて・・・というのが第一解であり、その外に広がる世界との唯一の接点に頼らなければならない状況にあったとしたら、ああいう接待になってしまうのも、自然な成り行きなのではないだろうか?などとうだうだ。
しかし、観光客の通り道にある学校だけが潤う。それでよいのか?幾千とある学校の中で、幾つかの観光ルートにある村の学校だけが、時に旅人を捕まえることで、国から十分に受けられない援助を補う。それでは根本的な解決にならない。いや、しかし個人ができることとして、少なくとも何人かが満足な教育が得られる結果を残せるとしたら、それがよいことでなくてなんなのか?
しかし、その教育の先に何があるのか?旅人からお金を寄付してもらって、旅人の国の生活に近づかいた先に彼らの幸せが本当にあるのか?パソコンのある生活が幸せへの道なのか?ノー。単に違う形態の生活が、後戻りのできない場所に待っているだけかもしれない。だから、寄付はしないほうがよい、などとうだうだうだ。
そして、ブータンの国のあり方(伝え聴くところからの理解だけなのだが)は一つの素敵究極系なのかもしれない、という結論に。旅行者から一律で高額な旅行費を公式に徴収する。そして、そのお金は、貨幣を大量に持つ旅行者と接点のある人にだけでなく、国民全体の幸せのために使われる。お金による幸せの実現ではなく、人を幸せにするためのお金、という位置付けを忘れず、お金持ちの国の後を追うような真似はしない。あるべき姿に向かおうとする限り、心は満たされることがない。国レベルで仏教が生きているのが、ブータンのように見える。素敵だ。
ネパールは旅行者からそれなりにはお金を徴収するものの、現地の人の話を聴くと、それは王の私腹の肥やしになって、国民に還元されてこなかったそうだ。教育、電力不足、交通などのインフラに十分な投資がされないのを、国民がなんとかしようとして、直接旅行者からお金を引き出そうとする。結果、お互いによい気分ではなくなる。
このよろしくない事情はしかしこれから変わろうとしている。ネパールでは革命が起こって、民主化。王は実質権力を持たなくなったそうである。次に来たときに、この国がどんな姿を見せてくれるのか、楽しみである。
軽量一眼レフ(リバーサルフィルム*14、レンズ*3 24-105mm,50mm,100-300mm)、ミニデジカメ(DimageXt+メモリ768M+充電器)、服(下着1日分、トレーナー、保温下着、ウインドブレーカー、指なし手袋、本*2、ガイドブック*2、めがね、コンタクトレンズ(使い捨て)、サングラス、下痢止め(中華製)、バファリン、抗菌薬、ひも、石鹸、シャンプー、剃刀、腕時計(防水、アラーム)、帽子、証明写真*2、現金150$、TC300$、タイバーツ少々、クレジットカード、CITIBANKカード、日記ノート、ペン*3、ミニ名刺*多
持ち物が軽いのは自由旅行では大変重要である。
街に着いた際に宿を見つけて荷物を置かないと行動できないのはロスが大きいし、手荷物を航空機内へと持ち込むことができるのも大きい。その分頻繁な洗濯が必要になるが、軽さメリットにはかえられない。
が、ネパールにはお茶、香辛料、トレッキング用品などに魅力的なお土産が多く、最後はビニール袋下げての帰国になり大変だった。無駄でもパックを持っていけばよかった。