2005 某日
<日本人バックパッカーのマナーが悪い という意見に対して考えたこと> 旅行者は、徹底的にサービス享受者になる。 ゆえに、サービスに対する感覚の持ちようが旅行者の行動、態度を 決めるシーンは多くなる。 当然ながら、文化によって、サービスに対する感覚は大きく異なる。 「自分が普段提供しているくらいのものは、受ける権利がある」 そう考えて行動してしまうのは、ある程度自然である。 私は外資企業でカスタマサポート業をやっていたが「日本の客は要求が高く、 不合理なまでの特別対応を求める」というのが海外での共通認識になって いたし、それを数値化できるレベルでの裏づけもあった。 実感からも、日本人が旅先で大きな態度を見せるシーンが多い点については 納得できる。 その結果の行動が周囲に見苦しさを感じさせることは当然あるだろう。 しかしそれは、行為者が文化の中で自分を相対化できなかったからと言うことも、 観察者が彼の背景を理解しなかったからとも言えるだろう。 サービスの需給の話以外でも、同様のことが言える。 ある行為がマナー違反 と認定される時、その原因は行為者にもあるし、 観察者にもあるし、そして、そのどちらでもないとも言える。 マナーとはいったいなんなのだろうか。 バックパッカーという道を選ぶ人の倫理感の分布と、そうでない人たちとの それとは当然違っている。 そういう時に、自分の持つ倫理観の相対化をせずにマナーについて語る ことは、精神の永久に交わらない宗教戦争的な行為である。 そして、相対化を試みる行為というのは、自分の感情を湧きたてるモノ (ex.その一つがマナー違反)を見聞したときに、感情に身を任せる前に、 その感情が自分の中のどこからやってくるものなのかを静かに観察 することである。 旅の魅力は、色々な世界を見ることでもあるが、同時に、世界を見る色々な 方法を知ることができる、というところにもあると個人的には思う。 日本人のマナーが悪いと聞く時、感じる時。 その時、どんな世界の見え方がそこにあるのだろうか。 こう問いかけてみることがこの論争を一歩抜け出す鍵になると思う。