悪について ~大連にて
2004/12/12
中国の大連で現地人の同僚とタクシーに乗って、日本語でしゃべっていたら
運転手が会話に割り込んできた。
同僚にしてもらった翻訳がもし正しいとすると
「日本人は礼儀正しいから好きだ。韓国人は要求がうるさくて嫌いだ」
とのこと。
同僚は途中で降り、最後に残った私が清算。
タクシーの料金、36元の金額に106元払うと、お釣りが7元だった。
運転手に抗議したら、笑って正規のお釣りをくれた。
ホテルのロビーでは日本人と売春婦にしか見えないカップルを見た。
昨日も見た。
これらの日々に私が見聞したものは、反射的に「悪さ」の匂いを感じて
しまわせる要素を持っている。
けれど、こういった分かりやすい「悪さ」というのは、これよりちょっと規模が
大きかろうとたいしたことはなくて、本当は、その奥にある見えない何か
~個々を見ていてもその像を捉えることのできない、全体的な構造の中に潜んでいるもの~
がたいしたことなのなのだという想いを、この街にいるとより強く感じる。
薄ら寒い それら。
昨日、海沿いのクソ豪華なマンションを見ながら発せられた問い
「あれは、1000万元(=1.4億円近く)以上だって。いったい誰が住めるんだろう」
その答えの中に分かりにくい 悪 が潜んでいるような気がしてならない。