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中国雲南 麗江

Day1 香港 to 麗江
Day2 麗江 白沙 東河古鎮


Day1 香港 to 麗江

香港から麗江への近くて長い道のり

深圳(シンセン Shenzhen)までは香港から 電車で40分+外国人向けイミグレを通り抜けるのに約15分+ミニバス(駅をでて右手にあるバスターミナルからK568)に乗って45分、なんのかので2時間ほどで飛行場に到着。

とある公園の有料公衆トイレ。有料/無料がありどちらも管理人がいることが多い
深圳ではもう国境の駅から英語の非常に通じづらい世界になる。 高層ビルの乱立するところは香港に似た景色だが、漢字が簡易体になっているし英語を見る機会も激減するしで本土にきたという気分に。

中国の国内線に乗るのは初めてであったが空港での E-ticket の受け取り初めスムーズにできた。
機内食はパンのつけあわせがバターとかではなくザーサイだったのが面白かった。
昆明での乗り換え。すし詰めのバスに乗せられて空港へ。この状況に耐えきれないアメリカ人がゲートがないなんて信じられない、もう二度と中国東方航空には乗らないと怒っていた。これは航空会社固有の現象ではないことを知らないっぽい。連れに「コストとの引き換えだから」と説得なだめられていたが、バスに乗せられるくらいであそこまで怒ることができるものだと思った。

バスを降りても行き先のサインが見当たらないので、空港職員に聞くと 一度出て入り直せという。変なのと思いつつ従うが、やはりこれがだめ。セキュリチィチェックで有効なチケットでないと止められる。適当なことを教えられたものである・・・。結局チェックインカウンターにてチケット再発行という面倒な手順を踏んで再入場。

空港に着いたのは夜10時でおそらく最終便街から30kmほどある空港は小さく、飛行機を降りた瞬間に街行きのバスに接続できる感じだった。すべての乗客が乗り込んだときにはタクシーもすべて消えて寂しい世界。こんながらんとした空港を見るのは初めてだった。
バスからは星がきれいに見えた。

バスから降りると西洋人カップルがこちらをさかんに見ているので、話しかけてタクシーをシェア。彼らはアルゼンチンからきているとのことだったが、中国に入国してから英語があまりに通じない上にガイドブックも持っておらずどうしようか悩んでいたようだ。そして、私が中国語を理解すると期待していたのだった。
残念ながらしゃべれないが、タクシーを目的地に連れて行くことくらいはできた。確かに漢字が読めず筆談作戦も使えないとすると中国は非常に旅しづらいだろうと想像する。「観光ポイントまでいけば英語が通じるから心配いらないよ」と言う。

結果としては意外にそうではなかったのだが。

しかし、水が出ない/蛇口破損率は相当に高かった
タクシーで行けるところまで行くと深夜なのに宿の客引きがいた。夜も遅いし値段も手ごろだったのでついて行くことにした。宿は結構便利なところにあり、空室もオフシーズンなのに一部屋だけ。それでも営業に着たのはえらいが、3人部屋に泊まれるほど我々も仲良くない。
すると、スタッフの独りの部屋を急遽片づけて私を泊めてくれた。たばこ臭いし服からお金まで色々と転がっていたが一泊20元と安い。
誰も英語をしゃべらなかったのですべて身振り手振りなどでやりとり。でも一生懸命さが伝わって好感。

香港発から宿到着まで実に9時間。値段は全然違うが東京から乗り継いでもあまり変わらなかったかもである。

新築の伝統家屋
落ち着いたらシャワー浴びてすぐ寝ようと思っていたが、例のカップル(結構 美男美女)ごはんでもどうかと言うのでせっかくだから行くことに。23時過ぎても観光中心部は盛り上がっている。
我々の求めたこじんまり料理屋で、ラストオーダーが終わっていないところに入り適当にローカルの米で出来たこしのない麺を食す。美味。彼らは自営業なので長期休暇を勝手に作って東南アジアを旅しているとのこと。アルゼンチンの貨幣が強くないので物価の安い国しか行けないとのことだった。そんなに高くないと説明するものの、アジアの中では高いし、アルゼンチンの物価とは比べようもないのは否定できない。

この後も色々な旅人が、日本と言えば物価が高くて旅行できない場所、という第一印象を持っていることを知らされる(それ以前に、アジアにオリエンタリズムを求めて来ている人が多いので、あまり旅先としての魅力がないのだろうとも思うが)。そして、いつもそれに続いて「寿司って日本でいくらくらいで食べられるの?」と聞かれた。SUSHI が日本と他国を比べるものさし?

夜は寒くなりそうだったので毛布を追加で借りる。麗江のゲストハウスでは、ベッドが電気で暖まるようにもなっているのが標準らしく、寒さに苦しめられることはなかった(12月のヨルダンとネパールで寒い夜トラウマになった)。

初日宿

  • Day2 麗江 白沙 東河古鎮

    朝の麗江

    朝歩きのススメ

    明け方はなんだか寝苦しく目がよく覚める。後で考えると軽い高山病の症状だった。

    朝六時半に目覚ましをセットするが中国標準時よりずいぶんにしに位置するのでまだ暗いし人の活動している気配がしない。もうすこし寝てみるが結局7:30になって明るくなってきても気配がしないのでもういい加減起きることにした。

    私は外国での朝の街歩きが好きである。 観光客が活動を始める前、それを相手にする店も閉まっている、でもローカルの生活が始まっている、その時間帯がより純粋な現地の空気を感じられるので。
    麗江でも例外でなく、朝は静かで、ただ農作業に勤しむ人々や学校に向かう子供たち、それらを相手にマンジュウを蒸す人たちだけが活動していた。古城の外れのあたりを散歩するのは楽しかった。

    もう一つの見世物村 東河古鎮

    今日は近くの高山、玉龍雪山にでもいこうかと思ったが既に山の上の方に雲がかかっていたのでやめにして、レンタサイクルをして観光客が少なく古都の感じをより楽しめるという隣町をのぞきにいった。自転車は当然ブレーキがへたっているのでまだましなのを選ぶがそれでも怖くてスピードは出せないきき具合。

    レンタル屋で道を聞くも距離間がよくわからなかったので道に迷う。
    すると、東河古鎮 なる観光ポイントらしき場所が近づいてきたので、無駄骨にしないぞ魂でのぞいてみる。
    現地民族のおばさまがチケットをと金を要求してくるのであやしく思い、チケットはチケット売場で買うからいいよとはねのけたのだが、チケット売場がない。しょうがなく彼女らの一人にお金を渡すとついて来いと。


    雲に隠れた玉龍雪山 from 貯水池
    言葉が通じないながら理解したのは、これはテーマパークとかではなくて実際に農作業なりをしている人たちが住む街そのもので、ガイドは街の実際の住民だということ。
    ここは、外部の人はガイドなしで勝手に歩き回れない街のようだ。ガイドは30元で一周、一時間以上案内してくれた。予想していたような土産物をさかんに勧めるとかあとでガイド料やチップを求めてきたりとかもなく良心的だった。水路を流れる水が古城よりもずっと美しく、場所としては悪くなかった。古城と同じく観光客向けの見せ物村ながら、環境客の数は圧倒的に古城より少ないのに観光向けのお店が過剰にあり、ちょっと痛々しかったが。

    すごいと思ったのは80歳とかのおばあさんが畑仕事なりを元気にこなしていたこと。 私も定年したら畑にでも挑戦してみたいのだが、あのようにできるか。そうありたい。


    東河古鎮の街

    麗江でのサイクリングの爽快度

    サイクリングをしていると頭が痛くなった。これは間違いなく高山病の走りだと気づき意識して呼吸を増やし、水分をとるようにした。
    麗江でのサイクリングはいかにも気持ちよいと想像していたが、そんなことはない。というのも街や道沿いの至る所でゴミを焼いている。石油製品を燃やしたときに出る有害で臭いにおいが立ちこめており、とても写真から見えるような風光明媚な雰囲気ビジュアルから想像しがたい不快なものであった。これは残念。


    新しい住居もそれなりの麗江

    白砂の街 ~文化遺産の保護について

    紆余曲折、ようやく目的地の白沙にたどりつく。ここも大量の土産物が売られていたが、商売根性は誰もあまりないようでのんびり。ただ、街としての見応えはそれほどない。
    高台から見る新市街
    ここの売りである歴史ある宗教壁画は観光客の手によると思われる落書きや削りが多い。どんなモラルなんだと思う。中国人の仕業と決めつけるわけではないが、中国国内外で見た、また見聞する中国人観光客のなりふりかまわなさからそのように想像されてしまう。中国国内の観光地は、破壊され尽くす前に早めに行くに越したことはないと改めて思ってしまうのだった。

    麗江の観光地区は相当整備されてしまって若干観光地化しすぎている感じがある。環境保全のために地区入場に80元という多めの金額を取るのはよいアイデアだが、もう少し整備の仕方を考え、歴史を感じさせるような作りにしてほしいと感じる。作りこみすぎは却って不自然さを感じさせる。

    たとえば古城の中心地区だけでもオープンスペースでカラオケやロックの大音量生演奏をするのを禁止したほうがよいと思うのだ。そんなものを求めてここに来ている人は少人数なのだから、新市街で楽しんでもらえばよいのに。おかげで雰囲気が台無しである。文化遺産になった理由であるところの文化、生活を守るところに集めたお金は使ってもらいたいと感じた。

    麗江 夜

    えせ占い師

    古城に戻り、高台にある道教の寺院に行くと、英語で中にいけと呼びかけられる。
    言われなくても当然行くがいやな予感。中では怪しげな人が線香を押し売りしてくる。その後、座れと言う。始まった。
    彼は幸福を祈るおまじないをする。そして、手相を見せろと言う。見て、一度離婚するとか子供は二人で男子ともう一人も多分男子だとか89歳で死ぬとか色々抜かす。で、結局お布施をすれば全部うまく行くよ、と言ってノートを取りだす。
    そこには名前と国籍と願い事と、払った金額がずらっと並んでいる。そこに一行追加しろと

    デジャブだ・・・そうだ、ネパールのポカラのとある寺院で見たのとまったく同じノート。そして同じセリフ

    それだけのお金を払う意味が分からないと伝えると、二人だから縁起がいい200元がいいんじゃないとかいう答えにならない提案。「他の日本人はいくら払ったかというとね。。。」とノートをめくる。1000元くらい払っている外国人がたくさん並んでいるのだが信じられん。ともかくもお金を出さないと不幸になるとい脅しと他の人は払っているんだよと言う脅迫的なこの手口は宗教人として最低の部類と思うので「他の人が払った金額になんの意味があるんだ」とか言い捨てて でも自発的に払ってもよいと思っていた10元だけおいて 去る。

    今思えばもっと色々言ってやればよかったしノートに騙されるなとか書いちゃえばよかった。次回またこの手口にあったら見ておれ。

    珍しいので snail を頼むと、たにしの山。これは食べ切れん

    宿探し失敗!

    初日の宿は英語をしゃべれる人がいなくて旅程相談などできずにいやだなということと、色々な宿を試してみたいなと言うことで、違う宿を朝から探した。結果、適当に街の外れに見つけた宿に泊まってみる。

    ここもシングル 20元。バストイレ共用で設備は同じ。しかし、ここは個人的につらかった。中心から遠いし道がベネチア的にわからない。宿に帰るのに10分のところが同じところを何週もする羽目になり、到着まで2時間かかった。聞く人毎に道を適当に教えるので(もとは自分が中国語をしゃべれないのがいかんのだが)何度もスタート地点に戻されてほとほと疲れる。

    また、共用シャワーはガス切れでお湯がでないので違う場所であびる必要があったり、お願いしていた毛布の追加もしてくれてなかったり。客が一人だからといって20時半にはゲストハウスが真っ暗になっていたのもちょっと。客が一人というのは気は楽だが一人旅の時は寂しすぎである。昨日のアルゼンチン人と合流でもするようにしておけばよかった。かなりのバッドチョイスだった。


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