<目的>
<計画>
・ ベルリンフィルを本拠地で聞く
・ フランクフルトのオペラ座で、劇場付属オケと合唱団の第9を聞く
・ やはり首都は覗かねば
一日目: 家 -> Neulusheim -> Mannheim Hbf -夜行-> Berlin Zoolg. Garten
二日目: -> Frankfurt(Main)Sud -> Mannheim Hbf -> Neulusheim
一日目:12/7-8(土)
今回のベルリン行きは、なんといってもベルリンフィルを聞くこと。 他のものは全部おまけ。 私的にはドイツ滞在のクライマックス。 ドイツについてすぐ予約をして、その日を心待ちにしていました。 土曜にベルリンフィルを聞いた後、日曜の昼過ぎにベルリンを引き上げて、フランク フルトでベートーベンの第9を聞いて帰る予定だったので、土~日曜半日で広いベル リンを一通りまわれるよう、金曜の夜に夜行で出発。 「一番安いベッド」を注文したら、洗面所、朝食つきのかなり綺麗なベッドの寝台部屋 だった(1人部屋)。どうりで高いと思った。 どうやら、ドイツではクシェットはベッドの部類とは違うようだ。日本では「簡易寝台」 と訳されるし、ベッドの一種と思われるが、少なくともドイツ鉄道の世界では違うようだ。 寝台料金が 100DM (5600 円ほど)したけれど、その分快適。 0時マンハイム出発で7:30頃到着。 まだどこも閉まっているので、最初に遠出しようと、S バーン(ローカル線みたいなも の)に乗ってザクセンハウセン強制収容所跡を目指す。 地上を主に走る S バーンも窓は落書きが多かった。車体にもたまにされている。 街で見る落書きの量は治安に反比例するの法則によると、ベルリンは噂どおりやばい のかもと思った。 終点で降りる予定だったので余裕をかまして読書に熱中。 するとある駅で停車中、掃除用具を持ったおじさんがさかんにドイツ語で何か言って くる。 僕が?顔をしていると、「ブス、ブス」と外を指差す。 そこでやっと気が付いた。他の乗客が全員消えている。 指差方向を見ると人々がバスに乗りこもうとしている。 この電車はこれ以上進まないからあれに乗れってことなんだろうなーと想像してとり あえず乗り込む。 やはりそのバスは終点の駅まで連れて行ってくれた。 そこから歩いて20分。 入場は無料。 門をくぐると、本屋とちょっとした展示場がある。 展示を見て、結構狭いなと思いつつ右を見ると、もう一つの門があった。 これが本当の門のようだ。
ザクセンハウセン強制収容所の門。「働けば自由になる」の文字
門をくぐると、そこはだだっ広い場所だった。 なんとなく空気が重くなったように感じられる。 分かっていても、門が開いているのを確認するために振り返りたくなってしまう。
長崎でこの図を見た気がする
木のベッドの並んだだけの生活部屋。ユダヤの星が飾られていた。 他、牢、処刑場、死体焼却場、生体実験室など 「強制収容所」から連想されるものが、広い敷地に点在していた。
骸骨の立て札が気持ち悪かった
ガイドブックにはユダヤ人とあったが、ソ連の兵がメインでここに連れられて 来たようである。 ここで10万人が死んだというからすごい。 この敷地内で、4年間に10万人。 どういうことか、想像しようとするが、これは難しすぎる。
処刑場の一つと思われる。左は牢と拷問部屋
冬の朝だからか、ベルリンの中心から離れているからか、土曜でも見学する人はほとん どいなかった。係員もほとんどいなかった。 薄暗く、当時のことを想わずにはいられない建物の中を1人で回るのは、ちょっと怖かった。 ただならぬ雰囲気が伝わってくる。霊感がなくてよかった。
牢。実際は暗くて不気味。左上に光るのは?
もういやだ、と思いながらも隅々までまわってしまい、予想を超えて昼近くまで滞在。 しかし、当然のように食欲ゼロ。よろよろしながら帰途。 門の外に出るとほっとする。 帰りもバス経由で中心部へ。 ブランデンブルグ門を見るのがベルリンの街での楽しみだった。 それを早期実現させようと向かうが・・・
こ、これがブランデンブルグ門?!
改修中らしく、全面が布で覆われていた。 一瞬ドイツテレコムの宣伝看板かと思った。 上部の像以外まったく何も見えない。ショック。 ショックから立ち直るべく、ふもとで行列を作っている屋台でソーセージはさみパンを 買い、それを食べながら、門をくぐり、近くの連邦議会会議場を目指す。 屋上部に奇抜なデザインのドームがあって、そこに登ると景色がよいらしい。 歩いていると、右手に何か命中。 それは予想通り、鳥の糞だった。 パンの最後の一口を咀嚼中だったので、右手は紙のみ。 へへん、一歩遅かったな。ざまーみろってんだ・・・・・・んだ? 後ろでそれを目撃したフランス人カップルが笑っているではないか。 最速10分は水道にたどりつけなさそう場所で手にはしっかり糞がついているではないか。 この状況で へへん、とか思った自分がバカだということに気づく。 しかし、3秒後には自分の天才さを確信するに至る。 鳥の糞を想定して、濡れティッシュを夜行電車の洗面所からパクっておいたのだ (これは3割本当。3ヶ月前にクアラルンプールで旅の同行者がやられたのが記憶に 鮮明だったので)。 手のお掃除をしつつ会議場に辿り着くと、大量の入場待ちの人が列をなしていた。
連邦議会議事堂の前の行列
入場希望者が多いのに、入場時に空港と同じようなセキュリティチェックをするために 時間がかかるのだ。 寒い中1人でこれを待っていたら生きる意志をなくしてしまいそうだ。 明日の朝早い時間に再度来ることを決意して(古代 進の気持ちを想像すべし)立ち去る。 もう2時半なので、宿探しタイム。 ブランデンブルグ門下の Information で宿を探す。 ベルリンは物価高だが、中心から近いところで、75 DM 程度でシャワー、トイレ共同、 朝食つきのシングルという条件が見つかった。 ベルリンの悪いと噂の治安下でドミトリーもなんなのでまあこんなものだろう。 予約したところに18時までに一度行ってくれと言われたので、S バーンで向かう。 ユーロパスはバス、U バーン(地下鉄)には効かないが S バーンだけはただにして くれる。 ホテルがそこそこ綺麗で安全そうなのを確認し、身軽になって再度街へ。
テレビ塔+マリエン教会。これまた修繕中
アレキサンダー広場にそびえるテレビ塔(こんな正式名称でよいのだろうか)に行ってみる。 が、これも大行列。 聞けば24時まで開いているらしいので、コンサートが終わってからくれば、治安が 悪いと噂のこの周辺の夜の感じも分かって一石二鳥と暗算。 見所の多い場所だったので、周囲の散歩を始めた。
ベルリン大聖堂。大きい。
アレキサンダー広場の周囲は大きな聖堂、教会などがたくさん並んでいる。 マリエン教会では、コンサートがあるようで行列が出来ており、中を覗くこ とはできなかった。 このあたりの建物の雰囲気はドレスデンで見たものに似ていた。 旧東ドイツの雰囲気なのだろうか。 破壊後復旧された建物の持つ雰囲気なのだろうか。 ぶらぶらとそのまま博物館の島と呼ばれる一角にゆく。 大きな博物館が河に沿って密集している、世界文化遺産にも登録されている地帯。 中に何が展示されているのかもよく知らないまま、ペルガモン博物館と旧博物館 に入ってみた。 両者とも古代の遺跡に残されていたものの陳列と祭壇の再現(かなり大きい)。 マニアにはたまらんのだろうが、いまいちこれらのものは自分には面白く感じ られなかった。 だいたいの物が、それ自体の美術価値がそれほど理解できないのと、元あった場所から引 き離されて陳列されたものを見ても自分にはその裏にあった文化や人々の姿を想像しき れないからなのだと思う。 にしては、結構な時間を使ったと思う。 そこそこの時間だったので、ベルリンフィルの本拠地、フィルハーモニーを目指した。 アインシュタインの卒業したフンボルト大学の横を通り、人口密度の高いクリスマ スマーケットを潜り抜け、夜景の美しいジャンダルメンマルクト広場を横切り、ポ ツダム広場へ。ひたすら歩いた。
ソニーセンター、IMAX シアターなどが並び、近未来的雰囲気のぶポツダム広場
ここは、再開発によって近代的な建物が立ち並ぶ、今のベルリンではちょっと浮き 気味な場所である。 写真群を見ると分かるように、ベルリンはもうあらゆる場所が工事中だった。 12年前からずっとこの調子のようだ。 進行中の工事がすべて終わったときには、かなりベルリンの雰囲気は変わっている ということが予想される。 変わり切ってしまう前のベルリンを見ることができてよかった。 ずっと時が経てから、もう一度出会いなおしたい都市だ。 そして、フィルハーモニーに到着。 公に、ベルリンフィルはウィーンフィルと並んで世界一のオーケストラとされて いるが、個人的な趣味でも世界一のオーケストラである。 特にカラヤンの後を継いで常任指揮者となったアバドとの組み合わせが僕は、好きだ。 余分なものがない。変に歌った音を作らないため、自分の中に展開されてゆく歌が邪魔 されないというところで。 今回は残念ながらアバドの指揮ではなかった。 韓国で最も活躍の目覚しいチョン・ミュンフン(Myung-Whun Chung)が指揮だった。 そのため、観客に韓国の人が目立った。満員。 (この日のコンサートマスターは日本人だった) 彼とロンドン交響楽団の組み合わせを一度聴いたことがあったが、実はあまり覚えて ない(終わってからサインをもらいに行った記憶だけはあるので、多分よかったのだ と思う・・・)。 ベルリンの本拠地でベルリンフィルを聞くことができるなんて、筆舌に尽くしがた い幸福。 期待を楽しむためにちょっと早めに席について待っていた。 しかし、夜行疲れで眠かったので幸せ感に包まれながらもちょっとうとうとしていた。 短いうたた寝は、団員入場の拍手にて終わる。
ベルリンフィルメンバーの入場。高まる期待(非フラッシュ撮影)
一曲目は Hans Werner Henze Symphony No. 8 。この曲は知らん。 現代曲っぽく、アンサンブルがかなり難しそうであるが、まったく隙がない。 信じがたくミスがない。さすがだ。 特に金管全般とチェロパートが恐ろしくうまかった。 座席は一番値段の高い席(約 5800 円)だったけれど、かなりセンターから外れてお り、それほどいい場所でなかった。これはドレスデンの時と同じ。 音響的にはでも、悪くなかった。 ただ、今回は後ろに座っていた少年が演奏の最中にやたら親に話かけるのが、とても うるさかった。 「このクソガキは音楽がつまらないなら来んなよー。こちとら、一生に何度も聴けない この演奏のために遠路はるばるやってきたんだぞ。あとでカンチョー食らわすぞ!」 などと思うこと幾度となく。 素晴らしい音楽だからこそ、邪魔されたくない。 しかし、強制収容所を見学した後にはあんなに謙虚な気持ちになっていたのに、一昼夜 も経ずにそんなものは吹き飛んでしまうものだ。 邪魔されても、それを補ってあまりあるこの素晴らしい音楽があるではないか。 そう考える(感じる、ではなく)のが得策だと思ってなんとか納得させる。 しかし、2曲目はそんな努力は必要なく、相変わらずうるさいクソガキのことなど忘却 できるだけの演奏を聞いた。 Gustav Mahler Symphony No. 1 in D major ~ Titan(巨人) 遊び(練習無し)の演奏であったが、確か僕がオーケストラ部に入って、生まれてはじ めて演奏した、交響曲。 4楽章がとても難しく、当時の自分はこれはまともには永遠に弾けない(パートは 1st バイオリンだった)と思ったし、90人とかの人数でぴったり揃ってこれを合わせられ る集団なんて人間じゃないと思った。 今はもちろん、そうは思っていないけれど。 ミュンフンはダウンダウンや SulG(バイオリン用語続きで申し訳ない)を多用するよう な濃ゆい演奏で、アバドの作り出す世界とは対象的だった。 だが、この暑苦しい演奏は CD としては持ちたくないが、ライブで聴くのには最高だった。 この曲の4楽章は、この組み合わせによるライブが世界一なのではないかと思わせるよ うな出来だった。他の何とも比較したことがないのに。 彼の方法は特にこの楽章とマッチしていたし、ベルリンフィルの金管と打楽器はこの楽 章にマーラーが、指揮者が、観客が要請するすべてを出して有り余るほどだった。 演奏が終わった後、観客達が発したのは、もう言葉として意味を持たない音だった。 ラストが異常に盛り上がるので、人を興奮させやすい曲ではある。 しかし、それにしても異様な集団興奮状態がホールの中に広がっていた。 そして僕も、性に似合わず感動に打ち震え、興奮状態にあった。 足が震えて立ちあがることができなかったほどに。 延々と拍手が終わらない。何度も何度もミュンフンはステージに呼び出される。 ベルリンフィルのメンバーの最後の1人が消えてしまうまで、拍手は終わらない。
いつまでも立ち去ろうとしない観客に応えるミュンフン
誰もいなくなったステージに拍手が鳴り止まない光景を始めて見た。 その時点から、ミュンフンは少なくとも3回呼び出された。 その間にさすがに客は帰り始めていたが、残った客はステージに集い、いつまでも 帰ろうとしなかった。 3度目のコールの後、僕はここを去ることにした。 拍手がやんで、ミュンフンがもう現れなくなって、ホールを出ることしかやることがな くて、それで立ち去るということをなぜか許容できなかったので。 そして、今外に出ればこの拍手が永遠に終わらないという可能性がゼロにならない、 とこれまたおかしなことのために、まだ完全なコントロール下に収まらない足取りで 歩き始めた。 頭ぼーっとしながら、予定通りテレビ塔に向かう。 22:30 くらいだった。 ベルリン治安チェックシリーズとして、地下鉄に乗ることにした。 やはり電車の落書きなどはひどかったが、結構、明るくて穏やかな感じだった。 これは、コンサートが終わって市民が家に帰るような時間だからかもしれない。 この時間ではテレビ塔はさすがに人が少なく、スムーズに入場できた。
テレビ塔より、6月17日通り方面
<結論> ベルリンの夜景はいまいち。 <理由> 暗すぎて何も見えない。 新宿から夜景をみたら四方八方が明治神宮ばかりでした、という感じ。 塔の展望台によくあるように、方向ごとに有名な場所などの描かれたプレートが あるのだが、夜では存在を確認できないものが多すぎ。 夜景は 20 年後に期待(でも、ベルリンは暗いのが似合っているといえば似合っている)。 そして、ふもとのアレキサンダー広場の治安チェック。 23 時半。ほとんど人間がいない。極寒なので当然といえば当然。 色眼鏡で見ればあやしい人はいるが、明らかにラリっている人などは皆無だった。 駅には頭の悪そうな青年達が結構たくさんいたが、渋谷よりましかも。 以上より、ベルリンの夜は少なくとも冬は安全と認定。 寒い、疲れたの2拍子。 その後ホテルに帰り、速攻で眠りました。 最高の一日でした。ベルリンフィルに感謝。二日目に飛ぶ