ホテルの朝食は8時~10時と遅め。日の入りもかなり遅い。 今日は中央駅に荷物を預け経由で、早い時間帯に昨日行列だった議事堂につきたかった。 すっかり準備をして8時のオープンを待って朝食を食べる。 クリスマスシーズンに姿を見せるシナモンパン(実質ケーキ)も食べることができた。 そしてすぐにチェックアウト。 今日は昨日にもまして寒かった。 議事堂に向かう電車の中で、サックスとギターの演奏をしてお金を聴衆する二人組み がいた。日本ではきっとひんしゅくのパフォーマンスだが、そこそこお金を稼げてい るようだった。僕は得した気分になった。 議事堂には9時前についたが、10分ほど待った。 セキュリティチェックを行って中に入る。 確かに議事堂上部にあるドームは奇抜で、そして美しいフォルムだった。
議事堂より恨めしのブランデンブルグ門2。右にある気球で見物ができるようだ
やはり360度、工事現場だらけ。
議事堂から西。これまた再開発中。広大なティーアガルデンが中心部に広がっている。
降りて、6月17日通りを横切り、昨日のコンサート会場だったフィルハーモニーへ ティーアガルデンというベルリンの中心部のかなりを占める大きな公園を歩く。 外を歩いていると、寒くて頭が痛くなってくる。 冬場のベルリンを歩くならば、帽子はあったほうがよさそうだ。 しかし、こんな寒い日曜の朝でも歩いている人を見る。さすがは散歩好きのドイツ人だ。 やがて到着。 ホールの横にある楽器博物館が目当て。 開館と共に入る。 展開するとバイオリンになる杖などのおかしな楽器があったのと、スケルトンパイプ オルガンがあったり、楽器の仕組みを説明してくれるコーナーがあったりとでそこそこ 面白かった。 開館一番で人が少ないので、みんな僕の一挙一動に注目している。 ここの係員の人は皆、親切で、寄ってきて解説(英語とドイツ語で)してくれたりした。 博物館三昧のベルリン。次に目指したのは壁博物館。
ショッピングモールをくぐりぬけた。ここもクリスマス一色
壁博物館は、ベルリンの壁にまつわる展示が色々ある場所。 歴史の説明、壁をテーマにした絵画、壁を越えようとした人々のエピソードなど がメイン。 フランス語、ドイツ語、英語の解説があって、内容がわかるのが嬉しい。 絵もテーマが決まっているからこそ、それぞれの持つ絵が自分をアピールしていた。 色々と興味深く、楽しめる。 博物館において、壁は「過去の過ち」基調で描かれていた。 ベルリンの壁の崩壊はしかし、「<世界は一つ>への一歩」という栄光の物語とし て語られるべきではないと思う(まして「西側の救済」の物語など)。 それは、大戦後に押し付けられた教育プログラムからドイツが解放されて、シャバへ出 ることを許されたことを象徴する記念碑。物語の新しい章への移り目。 しかし、「歴史」を切り捨てて「その時」に視点を置くならば、つまり、歴史は再び神が 降臨する時へ流れて行くものであるというようなキリスト教的信仰や、ジョン・レノンが Imagine したようなユートピアへの夢を捨ててこの現象を見るのであれば、それは物語 の一部なんかではなく、ただ単純に、その時、壁を隔てた両側に融合を望んだ人々がいて、 その願いが実現された、ということで完結された出来事。 それは単体として、素直に喜んでよいことなのだと思う。 ただ、その時に忘れてはいけないのは、分割を望んだ人間も「望んだ」というところ でまったく同じ場所にいたということ。 分割が栄光の物語として語られる歴史もある。 どこで何が望まれたか、望まれるのかがすべて。それが出来事に意味をつけて物語を作り上げる。 そして、生命体である以上、その望みにも類型がある。 仕組みは単純で、でもその結果である現象は複雑。 そういう力学ゆえに、人間の歴史の物語はフラクタルな構成を取り、どの場所のどの 時代を切り取ってきても、ある型を超えないのだろう。 そんなことを、考えた。
保存された壁。見せ物の前なので駐車禁止。
隣の土産物屋では壁の破片のキーホルダーなどがあったが、これらは結構高価だった。 博物館の近くに、150mほどに渡って壁の残された場所があったので、そこの 横を歩く。 工事現場を囲う壁以上に感慨をもたらすことも無し。 そろそろフランクフルト行きも近づきつつあるので、地下鉄で中央駅を目指す。 この地下鉄で、ちょっとした事件があった。 地下鉄に、涎を垂らしながら大声で独り言をつぶやいているおばさんが乗り込んできた。 目つきからもイっちゃっていることが確認できる彼女は「うおー」と叫びながら座っ ていた子供3人を手で払いのけ、空いた場所に座った。 子供たちはおびえて、母親と一緒に隣の車両に逃げ込んでしまった。 彼女はふらふらゆれながらタバコに火をつけようとするポーズを取っているのだが、 一向に火を点けず、ぶつぶつ独り言を言いながら涎をたらしている。 次の駅で、ギャルっぽい女性が乗って、不自然にがらんどうなその座席群に座った。 そして、ティッシュを取り出して彼女に渡した。 その優しさに目頭が熱く・・・なる間もなくすごい展開が始まった。 ティッシュを拒否されるとギャル(仮称)はティッシュを投げつけてキレた。 やりとりはドイツ語なのでよく分からんが、明らかに彼女を責めている感じだ。 ギャルは、彼女を「Get out!」(推定)的なことを言って、次の駅で叩き出した。 おとなしく追い出されたと思ったら、彼女は舞い戻ってきて電車の窓のギャルの座っ ている部分を激しくたたきながら大声で何か叫び始めた。 まじで怖い状況。日本人の99% はそこで(というかその段階にも至らずに)無視 フェーズに入るが、そのギャルは違った。 立ち上がってドアのところまで出向き、近づいてきた彼女に罵声と共に、顔に唾を 吐きかけた。 す、すごい・・・。 応酬で彼女も唾を吐いたのだがそれは大きくそれて僕の斜め 45度前方 30cm の床 に着弾。 もう鳥の糞でこりごりなので、50cm の撤退にて危険領域から離脱。 そうしているうちに再度、ギャル唾が炸裂、そしてとどめにハイヒール裏でのミ ドルキック2発。The END。 以上、誇張表現なし。鬼のように強いギャルだった。 それにしても、応酬が終わるまで結構長い間、電車の扉を開けられていた。駅員も見物モード? これが日常だとするとベルリン恐るべしだ。 その五分後、電車は中央駅に到着した。 その近くの爆撃で壊れたままの姿で保存されているカイザーヴィルヘルム記念教会 のふもとのクリスマスマーケットに昼ご飯を探しに行く。
Xmas マーケット。みんなこんな怖い顔しているわけではない。雪だるまのぬいぐるみは自殺決行中
ベルリンソーセージを食べつつ、ここをぶらぶらし、 ICE に乗る。 約4時間でフランクフルトに到着。そこからオペラ座へ S バーンで一駅。
フランクフルトのアルテ・オペラ
今日のプログラムはベートーベン第九交響曲のみ。 ドイツ語圏で第九が聴けるのもなかなかの幸福。 ドイツでは、年末だからといって日本のようにやたら第九をやる習慣はないようなので、 うまく見つかって、ラッキーだった。 以前のコンサートは一番高い席を買ってもそんなに良い場所ではなかったので、今度は 2番目に高いチケット- 90DM(4600円くらい)-をインターネット経由で買った。 ところが、これが前から2番目の左のブロックという、日本なら当日埋められる学生席 のような場所。なぜここなのか、かなり不明。 ここがドイツでは人気なのか、あるいはインターネット予約は軽視されるのか。 (以下、緑時部分はクラシック好き以外は読み飛ばす方がよいです) この席のメリット、デメリットは・・・ <メリット> ・ 目の前に座ったバイオリニストのことをよく観察できる。 個人の音程のミスやらブレスのとり方まで分かる。 <デメリット> ・ 弦楽器の前の方の人しか見えない。首が疲れる。 ・ 1st バイオリンなどは直接音がばりばり聞こえてくるが、管楽器などは間接音ばかり が聞こえてくる。よって音楽に統一感がない(このホールは天井が高いのでなおさら) 音楽家を目指しているとかでない限り デメリット>>メリット だ。 曲目が複数あって休憩があれば、どっかに席を移動してしまうこともできるが、今回は 第九のみのプログラムなのでそれも無理。 しかも、目の前の 1st バイオリンで第九を弾いたことがあったので、いちいち演奏の 仕方が気になったり、楽譜が思い出されてしまったりで音楽として楽しめない。 泣けてくる。 この曲を関西大学選抜オーケストラの演奏会で、ビオラで弾いた記憶が蘇る。 ビオラパートはオーケストラのちょうど中間に位置しているのだが、ここで弾きなが ら聴けるオーケストラはどの観客席より、きっと他のどの楽器の演奏者より、音楽 の中に入りきれるすばらしい席である(と僕は少なくとも思っている)。 どう考えてもこのオーケストラと合唱団の方がうまいのだけれど、あの時の第九の方が よかった。 その時の会場だった京都コンサートホールの方が、(オペラではなく)オーケストラの 演奏に対して適しているホールだったこともある。 それくらい、ホールの音響と席は大切。 楽器はそれぞれが音を響かせるためのホールを持っていて、ホールを包む素材、形状な どにより、出される音が明らかに違う。 同様にコンサートホールも個々の楽器の音の集合を響かせる大切な器で、それぞれに 違う音を作る。ホールの質は、普通考えられるている以上に重要な要素。 そして、場所。 楽器の場合は必ず楽器の外で音を聞くけれど、コンサートホールでは、耳がその中に 収まってしまうがゆえに、会場ではどの場所にいるかによって、聞こえるものが大き く変わってしまう。 どちらの重要な要素もこの演奏会で欠けてしまっていた。 ベルリンフィルと素晴らしい音響だったフィルハーモニーのせいで、耳が肥え過ぎて しまったのも災いだったと思う。 1~2楽章はいまいちと思いながら聴いていた。一番好きな第3楽章も。 3、4楽章の間に、ちょっとした曲が挿入されていた。 プログラムがなかったので、それが何か不明だが、現代曲っぽく、ベートーベンの 作ったものではないと思われる。 バリトンの独唱付きで、それはなかなか素敵だった。 そして4楽章。 この楽章は特に最初がバターくさいよなーとか思っているうちにいつの間にか第3楽章 の否定部まで終わっていた。 でも、その先はよかった。 「合唱付き」部分はやはり生で聴くととても迫力があるし、合唱のついた大編成には この大きなホールは向いていた。 最後が良かったので、後味はそこそこ。 その勢いで家まで帰途に着く。 そういや、「苦悩を通しての歓喜」という第9の合言葉はなんだろう、と帰りに考えた。 音楽で苦悩っぽいものも歓喜っぽいものも表現できるけれど、それ以上の何かは伝えない。 ベートーベンは何かがあってこの曲を作ったのだろうけど、その背景を知らない方が楽 しめるのかもしれない、と思った。 あの音楽が、溺愛した甥との関係を表現したものだとベートーベンが宣言していたならば、 誰が冒頭の5度の和音に宇宙を感じるのだろう。 たとえそれが彼にとっての世界そのものであったとしても。
フランクフルト中央駅
帰宅は23時半くらい。 盛りだくさんで長時間歩きまくりの旅で、ちょっとハードな旅でした。
<考えたこと> ~戦争と平和~ ドイツは第2次大戦にて、本土の受けたダメージが日本に比べてけた違いに高いため、 この戦争のことに想いを馳せずにはいられない場所が多く残っている。 日本では広島、長崎、沖縄以外には思い当たらない、そういった場所をドイツでたくさん 見たように思う。 ベルリンは特に、この大戦の置き土産だったベルリンの壁がなくなってまだ 10年ほど ということや工事現場がやたらと多いこともあり、街全体が未だ「現在復旧中」という 空気をかもし出している。 ベルリンを歩いていて、戦争のことをまったく想わない人はきっといない。 ザクセンハウセン強制収容所跡を見学中、僕はあるメッセージを見た。 「なぜこんなむごいことを人間ができるのか、信じられない」 見学者が感じたこと、考えたことを書き残してゆくコーナーで、唯一英語で書かれて いたために内容が分かったものだった。 このメッセージを見たことから連想されて、戦争について考えたこと(もちろん1から10 までその場で考えたものではない)をちょっと書いてみたい。 「戦争」について考えることは小さな頃からの僕のライフワークの一つなのだけれど、 その発端は上のメッセージと同じようなことを感じたからだった。 「趣味は読書です」と同じ匂いを感じさせるこのメッセージを見た時、一瞬置いて僕は ちょっとした寒さを感じた。 この、健全な発言の中に含まれている無自覚な能天気さ。 この収容所を見学して、身震いをしない人はいないし、2度と同じ悲劇を繰り返しては いけないと誰もが思うだろう。 けれど、そう思ったことについて、「信じられない」という言葉で簡単に表現できてしまう 能天気さは、国を挙げての戦争を動かす力と容易に転換ものとなる、そう直感したがゆえの 寒さだった。 (もちろん、彼らが本当に能天気であるなどと判断することはできないし、たとえそうだ としても、それを批判したい気持ちはまったくない。ただ、言葉から受けた心象から話を 勧めているだけである) その直感を頭の中で納得行く形に整理するのに時間がかかった。 「平和であること」が模範解答である現代において、特に深く考えずに戦争について 語ることになると、通常、平和を望む発言が出るようになっている。 戦争という蛮行を「信じられない」ものとして。 小学生が書く平和教育授業の感想文の類型。 「信じられない」ということは、その対象からの断絶を意味する。 <努力して理解できる範疇から超えている>ものというレッテル貼り。 共存していられる間はそれでよいが、その対象と利害対立が発生した場合が問題が発生する。 「言っても聴かないやつには体で教えるしかない」の論理は国の単位でも有効だ。 共存の努力をしても無駄だと思う相手に対して、しばし武力は必要悪とされる。 「更なる善のための必要悪」 現在行われている紛争のほとんどがこの名目の元に行われている。 聖地奪還すべし、テロ集団撲滅すべし、過去に侵略された前の状態に戻るべし・・・。 それは、ある状況では、戦争が模範解答となる時がくるということを示す。 そこにおいて、普段から模範解答を信仰する人々は、聖戦を拒む非国民を「信じられない」 と言う立場になる。 「なぜこんなむごいことをする人間の存在を容認できるのか、信じられない」 善を志向しているという大儀(大儀ゆえにそれへの志向は能天気な印象となる)の元に あることは変わらずに、行動を変える。 けれど、彼らが「信じられない」という状態を疑えないならば、自分が「信じられない」 とする対象と同じことを自分自身がしていることになる。 「信じられない」という場所に安住するということ(信じられないことを本気で嘆くの であれば、対応した努力はいくらでもできる)は、数ある神話の一つの中に生きている ということなのであるから。 現在、西欧を中心に信仰されている神話は、「人の命こそがなによりも大切である」という、 有史以来それほど多くの人に信仰されてきたわけではないものである。 自分も生命至上主義の中に育った人間だから、体にその信仰が染みついている。 けれど、その神話も時間、空間を変えた違う文化の人には「信じられない」信仰と映る に違いないと思われる。 「その生命至上主義は、それ自身としても歪んでいた。 救われる生命の陰で犠牲になるものを見ないために美しく映っていたらしい。 目に映る生命が救われるという正義の名のもとに、もっと多くの生命を殺すことのできる、 それ自身としても完成されない愚かな蛮行者達の信仰。」 現代を生きる人々がそう評される日の想像なら、今の自分にでもできる。 命より大切なものが公に存在する神話の中で、人々が集団殺戮に繰り出すこと。 それは、自分が神話の中にいることを知った後ならば、「信じられない」ものではなくなる。 人々が自分自身を1人の(今の文化では正常とされる)異常者として、蛮行を行う異常者に 視点をあわせることができたとして、それで平和がやってくるとは思わないが、それが できないならば、絶対にこの世から戦争などなくならない。 誰かの喧嘩を見て、あるいは自分が誰かと喧嘩をした後に 「自分はもう2度と誰とも喧嘩をしない」 と心に誓うことは簡単だ。 けれど、その誓いが次回の喧嘩を永遠に先延ばししてくれる力をもたないことくらいは、 誰でも知っている。 そうでありながらも、その一歩先はなかなか見つからない。 その先に、一歩進もうと思うなら「信じられない」と誰からも批判されないその言葉が 口から流れ出てしまうのを留め、想像の容易な痛みと共に、蛮行者が蛮行者とされる背景 について想像力を働かせること、自分自身が今どこにいるのかを知ることから始めなければ ならないのではないか・・・ ・・・そんなことを考え、次の瞬間にはそれが実現不能であると思った。 人間が人間である限り、その規模に変化はあっても戦争がなくなることなんてないと思う。 戦争は人類の歴史というフラクタル図形を形成する一要素としてもう、存在してしまった ものなのだから。 これ以上の理論展開を避けたいので、そう理由付けて、閉じたいと思う。 旅行記の文字の量を見てもらえれば分かるように、ベルリンは脳内独り言のネタを多く 提供してくれる街でした。 またいつか、ここに戻ってきて、自分自身と話をしたいなと思いました。 <おわり>