今日も7時前に起きた。なせばなる。 着替えていたら他の人を起こしてしまったようだ。 皆、わざわざベッドから身を起こして、挨拶をしてくれた。 さようなら。 駅の外には、昨日見た野宿の人がまたいた。 後にイタリアで会った人が、違う日に同じ光景を目撃していたから、定住に近いことを しているのかもしれない。 本日は、昨日とうって変わっての好天。 ザルツブルグ行きの電車から見えるドイツアルプスや森や街並み。窓景色最高。 電車を包むダイヤモンドダストと家々から起つ煙とそれを照らす日光との組み合わせ。 前方から後方に流れるに従ってきらめき方を変え、本当に綺麗だった。 ザルツブルグには9時ごろには着いたのだけれど、ロッカーに荷物を入れるまでに30 分以上かかった。 ロッカーの使用に硬貨が必要なのだけれど、ほんとにちょっとした両替をしてもらい たいだけなのに、駅の売店も鉄道の切符売り場も両替屋を指差すのみ。 その両替屋に大行列ができているのが見えているのに。 この融通のきかなさはドイツ的かも・・・。 結局は駅の外に出て探したタバコ屋で換えてもらった。 そして、バスで旧市街に出た。 あきらかに目だつ建物があったので、降りてそこを目指す。 街は一面雪で寒い。 ザルツブルグの街を見下ろす城に、ケーブルカーで登る。
お城
お城は外から見て綺麗だし、中からみるザルツブルグの街も美しい。
城からバイエルン地方
昨日の山の上でこれくらいの天気だったらすごかっただろうなあ・・・。
城から市街部
城から降りて、旧市街の中心を歩く。 クリスマスマーケットはここでもドイツと同じように行われていて、すごい人通り だった。 ここで見た大聖堂の内装は、ヨーロッパで多数見た有名な大聖堂の中でもかなり美しい 部類に入るものだった。 次に、お決まりのようにモーツァルトの生地へ。 モーツァルトのことを作曲家としてはたいしてすごいと思えないし、特に好きなわけ でもないのだけれど、やはり行ってしまった。 他、ぶらぶらしていたら本日のメインイベントまであまり時間がないことが分かった。 7時にきよしこの夜セレモニー開催だと思っていたのだが、よく見たら5時だった。 よって、市街はそれほどに探索できぬままローカル線で北のオーベンドルフを目指す。 駅とは言えないような小さな駅で降りる。 駅に人だかりが出来ていると思ったら、SL が大きな音を鳴らしてやってきた。 僕も一緒になって見送った後、インターネットで落とした地図を頼りに、川岸に出て、 沿って進む。 まだ16時前なのに、街の温度計は-8℃を指していた。
Orbendorf。川の向こうはドイツ
立派な教会が見えてきたので、それかと思ったら全然違って、川の反対側にある小さな 小さな教会だった。 印象として、内部は 10 畳くらいの大きさ(小ささ)だった。 人がたくさん集まっていなかったら、発見できないだろうサイズだ。 この日のためのツアーでもあるのか、観光客らしき人だらけ。 2割は日本人だった。若いカップルか、おばさんがほとんど。 結構田舎なので、Silent Night を期待していたのだけれど、全然違った。
観光バスの大群
ここにもミニクリスマスマーケットがあって、グリューワイン(香草入り温かワイン) などが飲める。 寒いのでそれを飲みながらぶらぶらしていると、セレモニーが始まった。 500人くらい、いたと思う。
きよしこの夜を歌いに集ってきた人々。中央やや左がその教会
ほとんどドイツ語で進行するのでさっぱり内容はわからない。 30分くらい何かの朗読と合唱隊による歌が繰り返された後、電気が消えて、 「きよしこの夜」の伴奏がギターで奏でられ始めた(教会のオルガンが壊れたことがこの 曲が作られることのひきがねとなり、初演はギター伴奏だったとされる)。 皆で合唱というよりは、マイクの前にいる人がドイツ語で歌ってるだけ?という趣きだった ので、これはきっと本番前のお手本に違いないと思った。 しかし、この暗さでは、ライトがなければ歌詞カードがあっても、見えない。 この事態を想定して歌詞カード(日本語、英語、ドイツ語)と共にミニ懐中電灯を用意 してきた自分を褒め称えた。 周りのほとんどはの人は歌っていなかった(歌えなかった)けれど、僕は一人で適当な ドイツ語で歌っていた。 それが終わった。 本番は日本語で歌おうと思っていると、人々は散り始めた。 終わったぜ…。 拍子抜け度は約40マーライオン。 (これは、30分その場でぼーぜん自失してしまうレベルとされている) 終わって10分で半分の人が消えた。 20分ですべてのバスとすべてのアジア人と8割の人間が消えた。 この光景をどこかで見たことがあると思った。 花火大会だ。 河原のすぐ近くだったことも手伝ったかもしれないけれど、その時、僕は花火大会が 終わった後の光景を見ていた。 時はクリスマスイブ。 場所は世界で一番愛されているクリスマスソングの発祥の地、寒くて静かでアルプス の山脈を遠くに見る、夕焼けの美しい土地。 役者は世界から集ってきたその歌の愛好者。 特別な何もしなくても、この聖歌がどんな他の場所よりも聖なる歌になる舞台が整って いたはずだった。 僕は自分が過去にこの歌を歌った(奏でた)場を色々と思い出し、 - キャンドルライトの教会で - 外のまだ明るい教室で - 湿め臭い部室で ‐ 北風吹きすさぶ遊園地で - そのどの場でも、僕は今日よりこの曲を愛することができていたと思った。 その時僕は、原因を演出の悪さに求めた(確かにそれは技術として最悪だった)。 けれど、もっと根本的な原因は、自分の中にある「演出の悪さを呪わせる何か」にあ ったと後で気がついた。 ジパングが黄金の国でなかったのは、誰のせいでもない。 30分。 呪縛が解けた僕はだいぶ静かになった周囲をぶらぶらした。 そして、凍える前にと河原を駅を目指して歩きはじめた。 前を歩くおじいさんもやはり Stille Nacht を歌っていた。
再びザルツブルグ。右の教会から左上のライト(灯台)~さらに向こうへと歩くことになる
ザルツブルグに戻る電車で席を取る。 向き合う形で4人一組の席で、他の3人は現地人らしきおばあさんだった。 何か気になるらしく、こちらをちらちらと見る。 居心地が悪くなったので、僕は本を読み始めた。 すると、となりのおばあさんがその本をじっと見た後、たどたどしい英語で話し掛けて 来た。 「Are you from Tibet?」 かなり意表をつかれた。 彼女の判断理由が、僕はチベット帽をかぶっていたかららしい。 自分は日本人でそのチベット帽はプラハで買っただけ、というそれだけを納得させる のに時間がかかった。 言葉の問題と、彼女という通訳を通して他の2人も納得させなければならなかったと いう2点による。 また、彼女は、先ほどのセレモニーでスタッフをしていたと言っていた。 僕もそこにいたというと、「あなたはキリスト教の何派?」と聞かれた。 それに「僕は仏教徒です」と即答したが、これは当然ここでは NG ワードだ。 当然「なのにどうして教会に?!」という真摯な質問が来る。 そこそこまともに説明しようとすると、日本の文化を説明した上で、この旅行記の冒頭 にある個人的理由+自分史を説明をしなければならない。 けれど、自分がチベット人でないのを納得させるのにあれだけ時間がかかった後なので、 それが、気の遠くなるような努力によって成し遂げられるものであることが容易に分かる。 …文化と言語の問題を乗り越えるのは困難すぎる。 そのもつ背景から独立して間違っていない、(あるいは、間違っている)といえる論は 存在しない。 背景を完全に理解してもらうことができないで、ある結論だけ伝えることは、相互理解 ではなく、むしろその逆をもたらすことも多い。 ゆえに、背景と結論を同時に伝えられる自信のない場(後で背景を理解してもらえる チャンスも期待薄の場)では、何も言わない方がましだと僕は思っている。 もちろん、そんな僕の持つ背景も黙っていて伝わるものではないし、誰かと話をするこ とは、言葉の持つ意味の交換だけが目的でも結果でもないので、そんなふうにつっぱって いられないのだけれど。 かかる事情で、外国人とのつっこんだ話は、あまり好きでないので、ちょっと困った。 結局、その場をかわす発言でごまかして、雑談に終始。 ザルツブルグに戻ると、19時過ぎ。帰りの夜行の発射まで5時間。 ヨーロッパでは、クリスマスイブの夜遅くにミサが開かれることが多いようだ。 戻ってから行こうと思って、22時から(開始時刻は早い方)のミサの始まる旧市街の 大きな教会を昼にみつけておいた。 それにしても、時間がありすぎる。 ドイツと同じく、オーストリアもクリスマスは徹底的にお店類が閉まっている上、空い ていても予約者のみの受け入れ。この凍えそうな冬の夜に時間潰し方がない。 結局、ほとんど人気のない街をひたすら歩きまわり、勢いで山を登って、降りた。
気が遠くなりそうなほど寒かった。
非常に空腹なのに気付き、朝から食べたものがハムを挟んだパンを二つだけだという ことを思い出した。これも厳しかった。 そうして、22時までの3時間、長い長い時間を過ごした。 一人、世界全体から疎外されたような気持ちで過ごすクリスマスイブも、一生に一度く らいはいいものだと言い聞かせつつ。 22時。教会へ。 暖かくないけれど暖かい教会内部には、外の閑散とした状況から想像できないほど 多くの人がいた。 ミサは音楽(ミニオーケストラ、合唱隊完備)と説教と祈りとで進む。 美しい声を持つ牧師がいて、その声が教会に響くのがとても荘厳に感じられた。 その中、キリスト教徒でない自分がいることに少しのためらいを感じた。 そして、「キリスト教徒でなく ない」=「キリスト教徒である」とは、いったいな んのことなのだろう、と考えはじめる。 聖書にある記述をすべて事実と信じること? 神の教えを実行すべく努力をすること? 日曜日に教会に通うこと? 求める時に祈ること? 色々と考え、周りにいる人々を見て、神を想像して、ここにいてもいいか悪いかという 問いは消え、ここにいてもいいし、いなくてもいい状態にあるという結論に至った。 もしそうでなかったとしたら、たとえ存在したとしても、神になんの価値があるのか。 けれど、23時過ぎに電車に乗るために教会を出た後、僕は懺悔しなくてはいけないよ うな気持ちにとらわれながら歩くことになった。もちろん、神にではなく。 神を信仰する人々、この街に住む人、帰りを待つ親しい人。他、漠然とした「人」に対して。 街中の教会の鐘が一斉に響き始めた。 光の少なさと空気が冷たく澄んでいることと表に人が少ないこと。これらの要素は音の 響き方を、変える。 こんな荘厳さは今の自分にはもったい。 もっと違う人がここにいてほしかったし、自分はこことは違う場所にいるべきだった、 と断定できた。 30分歩くと、駅に到着した。 駅のホームで、帰りの列車の寝台券をなくしてることに気がついた。 きっと、花火大会の会場で落としたのだろう。 おわり戻る