所感~写真~プエルトリコについて

~ 所感  旅の魅力 ~

ダイビングができなかったのは心残り。
でも、無人、犬と独占したビーチや、熱帯の山登りとそこで過ごした夜、
夜光虫水泳など、貴重な体験がたくさんできた。
オフシーズンの悪い点以上に良い点を享受したように思う。

今回は一人でいる時間と二人でいる時間が混在していた。
その中で、旅を構成するものとして大切なものを強く意識化したような気がした。

その大切なものとは、無数の、決して旅行記に書ききれない、書くこともでき
ないような小さなエピソードや、写真にもビデオにも収まらないシーンの
積み重なったもののことである。

「旅行、どうだったの?」と何度聞かれても口に登らないし、旅行記を書いたと
しても登場しない、そして自分の記憶からも消えてしまうような無数のシーンに
旅では、都度、心を動かされている。
手すりに腰掛けようとして失敗したおやじの挙動とか、船で隣り合った兄ちゃんの
目つきのヤバさとか、「本体はいいが糞は困るなヤモリ」と感想したことや、市場の
一種異様な匂いとかそれを嗅いだ時の同行人の表情だとか、幾度とない出会いから
その島のカニの行動原則を知ったりとか、知らない言語でもこの人は訛っている
よなと分かったこととか、そんな細かいことに心を一瞬一瞬奪われる旅。
「なんだかいろいろ」的なそれらのものをたくさん、一人の旅ならば胸のうちにしまう。
隣に誰かがいれば相当量が共有されるだろう。

しかし、いずれだったとしても、記憶は徐々に薄れ、「なんだかいろいろ」は旅
という淡い輪郭の中に消え去ってゆく。
それでも、それらが姿を消して、記憶の中には特別な出来事だけが残った後でも、
その旅をその旅たらしめているのは、特別な出来事の周りを取り巻いている
「なんだかいろいろ」に違いない。
もう永遠に、誰にも伝わることのないそれらのシーンの数々は、自分の中だけに
眠り続けるということが分かっているからこそ、かけがえのないものとして感じ
られる。
「世界と自分の間の秘密」的な匂いを持つそれらは、その旅を特別なものとして、
愛させる要素となる。

自分だけの旅。

旅を愛する人は、旅の計画の外に生まれる「なんだかいろいろ」との出会いを
愛している、とも言えるように経験的に感じる。

まあ別にそういったことは、改めて言葉にするまでもなくって、何かを愛すること
一般に同じような仕組みを持っているのだろうけれど。


複数人の旅になると、多くの「なんだかいろいろ」を二人(n人)だけの間に
持つことになる。
それらのすべては何かの拍子に思い出される可能性を持ちつつも、多くは密な
関係の中でも永遠に話題に登ることがない。
しかし、やはりそれらは二人の間に「いろいろあったな」のような曖昧な形で
共有され、二人の関係を特別なものにする重要な要素になる。
非日常的な空間での特殊なシーンの数々。
一般に秘密めいたものは、共有している人の間の連帯感を高めるから、それは
二人の間の「情」を形成するのに役割を担う。

これも、もっとずっと一般化される話で、なぜだか理由もわからずにこの世界に
産み落とされた人間たちは、同じ境遇で同じ世界を目撃している同士を見つける。
同じ世界を見るほど、同じ世界を共有していると感じられるほどに関係は近しく
なってゆく。
それは、自分を相手の中に、相手を自分の中に見つけることだ。

旅を通して人は世界に出会うし、人にも出会う。
この二つは地平線の向こうで同義なのだけれど。

だから、旅は素敵。


~ カメラ馬鹿旅行 ~

初のカメラ馬鹿旅行の所感はまず「重いだるい」。
確実に徒歩が億劫になる。
また、扱いで気を使うことが増えるし(荷物置いて泳ぐとかもできない)、
一箇所で過ごす時間が増える分、行動範囲は狭まる。
デメリットは山のようにあるけれど、旅行から帰ってからの楽しみはでかい。
苦労してよかった、でかしたぜ自分!、と思える。
無形の大切なシーンを思い通りに有形にできた時の喜びは大きい。
写真がまた旅の新しいストーリーを作ってしまって、記憶を塗り替えるなんて
こともあるくらい、写真には力がある。
それがいいことなのか悪いことなのかは抜きにして、その力に惹かれているので、
しばらくは-飽きるか本気で自分が馬鹿だと感じるかまでは―馬鹿旅行を
やってみようと思う。


~ 写真 ~

芸術の一部は「なんだかいろいろ」を表現するためにあるように思う。
写真もまた。
記録写真に撮りきれない写真があることを痛いほど知っているから、誰もが
目に留めるようなをシーンの記録作業をやめて「なんだかいろいろ」の無数の
存在を示唆するようなシーンを捕らえる。
どうせ撮るなら綺麗な記録写真を撮りたいと思って写真の勉強をはじめてみた私
だが、徐々に記録写真に興味がなくなってきた気がする。

最高の機材で最高のシーンを写真にすることで、その場所の素晴らしさを
捕らえることができる。
そういう、量的に素晴らしい写真ももちろん撮ってみたいと思う。
けれど、本当に撮りたいのは、その旅の素晴らしさを伝えられるような写真だ
というようになってきた。

テレビでも絵葉書でも見ることのない、その場所にその時にいた人だけが見る
であろうシーンは、その旅の、だけではなく、旅というのもが持つ一期一会の
-世界の中に巻き込まれることの- 豊穣さを伝えてくれる。
それは 私の旅 をではなく、旅というもの自体の豊穣さである。

世界のあらゆる場所で私たちを待っている美しいものや一期一会のドラマを
体験しに行く!

そんな風に旅に想いを馳せさせる写真が撮れたらいいなあ・・・。



~ プエルトリコについて ~

1. 物価は安くない
ほぼアメリカと同じ。

今回のおおよその予算
280$ 航空券フィラデルフィア往復
220$ 宿 6泊(Single ルームの最低ランクばかり)
120$ 飲食(安食堂ばかり) ビール飲みすぎた。
115$ 交通費 (飛行機$70、船$2*2、チャリ$40、パブリコ7$、バス1.5$ など)
 33$  遊び 夜光虫ツアー $23、スノーケルグッズレンタル $10
色々あわせて800$ほど。
+でフィルム&現像代 なんのかので2万円くらいかも・・・。

2. アジア人少ない
約一週間で日本人に一人も会わなかったし、他のアジア人にも会った記憶が
ないような気がする、というくらいに現地の人とアメリカ人しかいなかった。
ビジネスチャンスや特別な学問があるわけでもないし、まあそれほどアジア人は
遠路はるばる行かないだろうよ。

しかし、上海人、フィリピン人に一度ずつ間違えられた他は、ジャポネと私を
見抜き、正答率はアジア人以上に彼らが高かった。

3. 人々は親切、
人々はおおむね親切で、嫌な人、ぼったぐりにはまったく会わなかった。
観光客の行きそうなところなら結構リラックスして旅できる場所だと思う。
銃社会の一員でも有るし、治安悪そうなゾーンはちょっと怖そうだった。

3. アメリカとは違う
国こそ US なれど、人種も言葉も文化も違う。
アメリカっぽいのは売っているものとチェーン店、通貨に基本的な法律くらいか。

4. 観光地としてどうか?
海あり、山あり、街ありで、楽しめる。
しかし、食事はたいしたものはないし、物価はやや高い。

名物ライス&ビーンズ。想像どおりの味
アメリカが出発地点ならお勧めできるけれど、日本からならアジアの島に 行く方が体力、時間、予算的によいと思う。 日本から NY までとそこからの往復は安いから航空券自体はそれほど高くないか。 サルサの大ファンだったり、ラテンの空気を感じたい、US 東海岸に住んでるぜ というケースでのみお勧めの場所か。