二日目

8時頃外に出て、新市街(実際には旧市街の方が再開発が進んでいて、新しい感じ)
に北上。
朝も人が少なかった。散歩している人もほとんどいない。
ポプラ並木が綺麗だけれど、それだけだった。

クリスマスマーケットの準備
この季節になると、どこの街でも中心の広場がクリスマスマーケット用の小屋で 埋め尽くされる。今後が楽しみ。 新市街の教会に入ってみたら、ヴェルディのレクイエムの練習をやっていた。 ドイツでは教会コンサートがかなり盛んのようだ。

エルベ川沿いから中心部
本日は、忘れ物大魔王だった。 まず、ホテルに時計を忘れた。 そして、手袋を4回落とした。どれもちょっと引き返したらみつかってくれた ので、よかったが。 手袋がなくなると今後のドイツ人生が暗い。買えばいいのだけれど。 10時過ぎ、電車に乗ってライプツィヒへ。 一時間ちょいでヨーロッパ一大きな駅に到着。 街の規模と不釣合いに大きい。30番線くらいまであった。 ネオナチが多く、治安が悪いと聞いていたが、日曜の昼間ということもあってか あまりそれは感じなかった。

トーマス教会前、バッハ像
ライプツィヒでは、バッハが活躍したトーマス教会やらをぶらぶら。 意図外にバッハ三昧の旅だった。 16世紀に開店というヨーロッパ一古いと言われる Cafe に行く。客はほとんどゼロ。 歴史的文豪や芸術家たちが通ったというこの場所で読書なぞしてみた。 中はやや高級っぽいだけで特に歴史を感じさせるところもなく、普通の喫茶店。 ゆえに、想像力で色々補わないとつまらないところでした。

オペラハウスでは本日、タンホイザー。いいな。
そして、ニーチェ(ゲーテの方が有名だけれど)の学んだライプツィヒ大学へ。 高層ビルと周囲ちょこっとのあまり風情のない大学。 ニーチェの銅像とかないかなと思ったが、なかった。痕跡はまるでなし。 まあ、あったらどうだというわけでもないのだけれど。 のんびり街歩き。ストリートミュージシャン観察なんかをして、15時頃、帰途。 家まで5時間ほどの予定。 2等車はずっと満席だったので、ユーロパスがあってかなり助かった。 しかし、ICE は15分遅れてマンハイムに到着。 乗り継ぎ予定の電車は去り、次の電車は70分後。 ドイツの列車は意外と時間にルーズみたいです。 最寄の駅で降りたら、乗客の若い男性が窓を開けて一生懸命僕に何か言ってきた。 忘れ物?と思ったが、乗ってた車両が違う。 「くたばれジャップ」とか言ってるようにも思えない。 なんもない田舎駅でいかにも旅行者の東洋人が降りたのを見て、 「そんなとこで降りても泊まるとこないぞ、降りるとこ間違えてるんちゃうんか?!」 という警告でもしてくれたに違いないと勝手に断定。 心配とはよそに、今回は車のパンクもなく、無事に帰りました。 おわり


<考えたこと、感じたこと> ヨーロッパの街を歩いていると、街全体が個人の力ではどうしようもないような 強さと広さでキリスト教に染められきっているような印象をしばしば受ける。 今回はドレスデンで強烈にそれを感じた。 日本では感じられない統一感。 ここで自分をキリスト教に染めることをできなかった人は、悲惨だと思う。 昔はもっとそうだろう。 そんな中で、僕がなぜニーチェに惹かれたのか、そこから考えてみた。 自分が小さい頃に教会に行っていた時にキリスト教に触れていて、彼と同じよ うに信じられなかった、といういきさつは一つの必要条件。 けれど、主要因は自分のいる環境に自分を乗せることができない彼に同族意識を 感じたから、というのが強いと思う。 彼のことを、尊敬とかではなく、好きという感情を持つのはそのためだと思う。 ただ、ニーチェの方が比較にならないほどにその部分が強い。 彼の思想からは逃げ道「ここでないどこか」探しに必死の様子が伝わってきて 痛々しい。 あの偏執的に価値転換を叫ぶやり方は、権威を持つ価値に対面してどうしようもな くなった迷い人にしか行えないもののように思われる。 キリスト教が権威となった時代にキリスト教がルサンチマンを起源に持つと叫ぶこ と、それは(彼が批判する)ルサンチマンの成せる業であり、彼の思想の先にある 逃げ場所は、未来の彼が逃げ場を探さないといけないところである。 ニーチェは、テロリストと同様の素質を持っている、と思った。 権威者の自由のために圧搾、黙殺されている不自由者が自由のために取る積極的行動 は、自分の不自由を自由を奪うものに対して知らしめることから始まる。 相手の大切にしているものを物理的に破壊する。これが最も簡単で効果的。 破壊の意味なら、信条を超えて意味が伝わる。 権威者は、自分の他に対してしていることに通常は鈍感であるが、これなら注目する。 (アメリカの政治家は鈍感だったけれど。彼らはテロを自由に対する攻撃だと言って いるが、それは一般に自由を求めての活動であることを知るべしだ) ニーチェもまた、不自由者の一人。 でも彼は、物理的な行為には及ばず、ルターのように半物理的な行為にも及ばず、 知的活動に従事した。 頭が良かったからか、力への志向が強かったからか(西欧では理性的な人間の価値は 高かった。当時は今よりもそうだったかもしれない)。 なんとなく、後者が強いように思われる。 結局、外も内も何も壊すことができず。自分が行う抵抗活動への抵抗の手応えも得られず。 でも壊したいものがあることだけは、誰よりも強烈に知っていた。 発狂材料として十分。(実際には、梅毒が原因だったのだけれど) ワイマールで彼は倒れた。 そこがどんなところかを感じるためだけに、途中下車をしようかと朝には考えていたが、 こういうところで想像力を動員させて得られるものなんて、どこにいたって望めば得ら れるものだと、この二日ずっと感じ続けてきたので、やめた。 整然とした街並みや精巧な像に彩られた教会、バッハの作った聖なる調性音楽。 キリスト教を信仰しない人々の心をも動かすヨーロッパの遺産は、ある人々を発狂 させるのに十分なほど圧倒的に街を支配している。 そんなことを、感じた旅でした。
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