東南アジア旅行記

東南アジア旅行記1999 2/5~3/2

旅行記を書くかどうか迷った。
伝えたいことはたくさんあった。

でも、知らないほうがよいこともある。
この旅行記を誰かが書いていたとして、僕は旅に出る前にこれを読まない
ほうがよかっただろう。
誰かの感じたことが自分の感じることを疎外することがあるから。

だが、さんざん迷った挙句、書いてしまった。
半分は、未来の自分へのメッセージとして。

~~~~~~~~~∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞~~~~~~~~~~


もう、これまでに何度でも言われてきたことだろうが、旅は、人生
の縮図だと本当に思った。
ひと月ほどの旅の中で、数多くの人と出会った。そして、別れた。
そのだれもが、僕のことなど知らなかった。どこで何をしている人
なのか、何ができて、何ができない人なのか。何を常識としている
のか、この世界がどのように映っているのか。
共に過ごした短い時間の中で、お互いの断片を見せ合った。ある人
とはとても分かり合えた気になったし、ある人とはそうではなかった。


シンガポールにて


夜中に到着した飛行機の中でとなりあった40代の日本人。宿のあて
のない僕をYMCAの前までタクシーで送ってくれた。かつてシンガポ
ールに3年住んでいたという彼から、夜の1人歩きは大丈夫だと聞く
と、別れを告げて、僕は歩き始めた。ありがたかった。


深夜、異国の地に立った僕に初めに話しかけてきたのはガードマン
だった。ひどくなまった英語で何を言われているのかわからなかっ
た僕は、多少不安にさせられた。特に危害を加えようとしているの
でないということは十分に承知しているのだが。


夜更かしをする若者たち。街で抱き合う男女。どこの世界でも同じ
なんだなと思った。

鞄屋で発見した意味不明のリュック。

24時間開いているコンビニエンスストアでレジを打っていた店員。
中学時代の担任の先生にひどく似ていた彼の声を聞きたいがために、
そこで買い物をした。


動物園であったインド系の少女。恐ろしいほど深く美しいその瞳に、
釘付けにさせられた。


国境。シンガポールからマレーシアへ向かう人の群れ

マレーシアにて


治安の悪い国境付近に広がる屋台群。そこで珍しいエイを焼いてく
れた青年。街の一角で騒ぎが起こると、うれしそうに仲間と歓声を
あげていた。毎日が、おなじことの繰り返しなのだろう。しかし、
彼には生命力が感じられた。僕が持っていないものを持っている人
だと直感した。


屋台はこんなかんじ。好き嫌いが別れそう。
僕は毎日の食事が楽しみだった。

サングラスを買った。店員は英語ができないようだった。お互いに
にこにこするだけだった。とりあえず、笑顔は万国共通のようだ。
ホッ。


マラッカで会った人力車を押す観光案内人。最初、僕のことを中国
人だと思ったらしいが、日本人だというと「ワタシのムスメ、トウ
キョウ、イル」とさかんに勧誘をはじめた。「自分の足で歩くのが
好きだから」というと、矛先を変えていった。また、同じことを言
っている「アナタ、クニ、ドコ?」


はじめて日本人旅行者に会った。一人旅ばかり3人もまとめて。一人
はコック、一人はOL、一人は仙人(?)。4人で海峡に沈む夕日を
眺める。
「世界地図の中のあの点に今僕達が立っていると思うと、不思議だなあ」
コックが言った。


マラッカ海峡に沈む夕日。


夜の11時まで宿を決めていなかった。のんきな自分を呪いながら、宿
を探してまわる。ある宿で、主人と話をしていると、「その声は、
Mrしらい?」との声。旅に出てからどこでも無名であった僕は、
びっくりというよりも、不思議な感覚に包まれた。後ろを見れば、少
しひげの伸びた日本での友人がにやにやしていた。東南アジアを旅行
中ということは知っていたが、こんなところで会うとは…。
無名を求めてきた…はず。
うれしくなって今までの旅のことをしゃべりまくっている自分がいた。


アジア好きというフランス女性。「アジアの人は、リラックスしてい
るから素敵。」と言っていた。
日本人はリラックスなんてしていないよ、という言葉がでかかって、
止まった。


インドネシア(とんでもない不況と治安の悪い状態だった)にて


お金をくれ、くつを磨かせてくれ、とさかんに言いよってくる子供達。
ここに生きていれば、10円のために、僕も同じことをしただろう。
そして、旅にはでなかった。


靴を磨く子供達。
カメラを向けると俄然はりきった。

春休みにみんなで旅をしているという大学生の集団が、ギターで合唱
している。
ここは田舎。外で大声出そうと関係なしだ。
観光客のいない地域で、僕は明らかに目立つ。声をかけられる。
こぴー(コーヒー)とぽか(ウォッカ)で乾杯した。
日本の歌をやってくれ、とギターを渡される。お約束です。


並べるとかなり色白に見える。

深夜バスの運転手。あのバスの中で英語の通じた唯一の人。
なぜか僕の名前は「NAGOYA」に決められた。


バスの中の「NO SMOKING」などお構いなしだ。運転手から率先して吸っ
ている。
インドネシアのタバコ、GARAMの煙で充満した車内。その甘い香りは気
分を悪くするのに最適だ。
でこぼこ道を飛ばすバス。後ろの坐席から嗚咽の音が止まらない。


となりに座った青年「テル」がさかんに話し掛けてくる。
GOとWANTくらいしか知らない彼となにが語られていたのかは今では思い
出せない。
現地のお金がほとんどなかった僕に、彼はごはんをごちそうしてくれた。
「手で食べるの、大丈夫?」
もちろんジェスチャー。

同じバス停で降りた「ラクス」
どうしても写真がほしいという彼女と記念撮影。
人差し指と中指を立てて合わせるのが「PROMISE」のサインだという。
「写真送るよ」「手紙送る」
約束は守られた。インドネシア語とへんてこな日本語で手紙がきた。
「その国の言葉を知らないのに旅をするなんて、あなたは勇敢な人ね」

日本じゃ、普通だ。


小休止。暗闇の中、皆で並んでジャングルに向かって立小便。
見上げれば、満点の星。
オリオンがあんなに高く登っている。


宿で働く19歳。
家から売られて2年間は絶対にこの職場に奉仕しなければならないという。
朝6時から夜7時半まで週休0日。月のこずかい700円。
「周りの人とはみんな友達で楽しいのだけれど、たまには違った景色がみたいよ、
退屈でしょうがない。とさかんに僕に話しかけてきた」

「本当は勉強がしたかった」
日本に生まれていたら、彼は勉強が好きになっただろうか?

奥でウィークエンドマーケット。
彼の生活圏はこの一角のみという。


島を案内してやろうという青年。
なんのあてもなかったのでうさんくさいながらも頼む。
「僕らは最高の友達さ」を連発する彼。やはりうさんくさい。
彼はいい稼ぎをみつけたと思っただろうが、僕はその想像はしない
ことにした。誰も不快にならなければいいのだ。

彼自慢のHONDAのバイクは最後にパンクした。
その悲しそうな顔を見て、なぜか安堵した。


土産物屋のおかみさんは、腕を掴んで離さない。
「生活ができないのです」
これは、本当のところなのだろう。本気で泣きそうである。

買って帰った飾りつきのボールペンは、インクが固まっていた。ま、ええわ


「一緒に飲みに行くぞ!」と宿のオーナーらしき人。
バイクの後ろに載せられてゆく無警戒の僕。
インドネシアのビールは常温である。
「日本ではビールは冷やして飲むよ」
「…なぜ?」
「……」

皆の視線はアメリカのB級映画に集まる。訳のわからない字幕つき。
支払いは当然のごとく、金持ちの僕なのだった。ま、ええわ


トゥバ聖湖。
とても美しいが、高地なので泳ぐにはちと寒い。

今度の長距離バスの運ちゃんは、愛すべき人だった。
突然主流の道を外れると、とんでもないでこぼこ道を行き始める。
ほどなく、集落にたどりつくと、彼は車を止め、客の方を振り返って言った。
「ここに、俺の嫁はんおんねん」ま、ええわ


スマトラ島一番の都市に降り立つ。
右も左も分からないので、ちゃりんこタクシーに乗る。
さんざん周回した挙句
「場所がわからん」
渡した地図もなくなってしまったという。ま、ええわ

この国に来てから何度目の「ま、ええわ」だろう…。

歌の溢れていたこの国を去る。


ふたたび、マレーシア


マレーシアのペナン島へと向かう舟の中にて会った陽気なイギリス人と
ジョンレノン似のクールなアメリカ人。
お勧めの安宿まで連れて行ってもらった。
この島に来るのは何度目か分からないという。
喧騒、雑多、混沌。
すべてが、心地よいという。

汚れた水、空気。
西洋人の巣窟と化しているこの場所が僕には不快で、いくあてもなく
長距離バスに飛び乗った。

市場にて。
考えるぶたもブタを食べたりして生きている

マレーシアとタイにはやたらと犬がいて怖かったりする。
ペナンで見たこの犬が、旅行中でのマイ・フェイバリット!

バスの中でとなりあった40くらいのイギリス人が「行く当てないなら一緒にタ
オ島にいくか?ここはサイコーだぜ」と言うので、ついてゆくことにした。
南の島に飽きるまで滞在するのが旅の目的の一つだった。
彼はもう長い間その島に住みつき、ビザがきれそうになるとマレーシアに一度入
り、ビザを1ヶ月伸ばすのだそうだ。

国境を越えてタイに入る。
彼とは、バスの時間まで別れた。

タイのお金がなく、何もできないことに気付く。
両替する場所がない。夜で銀行も閉まっている。
困ってふらふらしていると…これからベトナムに行くという日本人女性二人
組みに出会う。日本円をタイバーツに換えてもらった。
有難し。

バスを待つ間、タイウイスキーを共に飲む。


バスの運ちゃんが来る。
「タオ島いくならこのバスしかないぜ」
連れが指定したバスと違うようなので説明するが、
「これしかないんだから、君の連れもこれに乗るよ」

バスが出発する。
彼は来なかった。
僕は眠りについた。
目が覚めると朝だった。
…そこはバンコクだった。

やれやれだ。


タイにて


バンコクの町を歩いていると、タイ語で話しかけられる。
チャイナタウンで働くという彼が、僕がタイ人でないことに気付くのに、20秒
もかかった。
「今日は旧正月なので、ボーナスが出たんだ。良かったら一緒に遊ぼうよ。独身
で寂しいんだ、おいら。」(もちろん、こんな変な日本語をしゃべるわけではな
く、英語。)
なんかアヤシイが、アヤシイこと好きな僕なので、宿もとらずに一緒に
遊びに行く事にした。
僕の名を「トシ」と簡略化して教えたが、彼曰く「そら、むずかしい名前やわ」
彼の名を聞くと「カン」
「簡単でしょ?」と誇らしげに言うが、差が分からないのでとりあえず
「同じやがな」と心の中でつっこみをいれてみた。

チャオプラヤ川を30人乗りの船を借りきって周る。
仏教徒であるカンと、お寺やヘビ動物園をめぐる。
しかし昼から飲む飲む。
ビール、タイウイスキー、タイウイスキー、タイウイスキー…
昼は観光客が来そうにない食堂で飲む食べる。

食堂のお姉さんと通訳してもらって話す。
「日本人の女性って、肌が白くてかわいくて、憧れちゃうわ~」
この言葉は旅行中に各国で何度も何度も聞いた。
一方、日本人男性は……「優しい」
消極的、そして無難な評価だ。
確かに、日本人男性は優しい。特に外国では。
大部分は精神的な弱さと経済的な強さに由来しているだけなのだが…。

売春に誘われる。
それをきっかけに、売春にまつわる話を聞いてみる。
タイでは、国が売春を認めている。
彼らにとって買春は「リラックスしに行く」程度の認識であり、休みの日に、
あるいは昼休みに「ちょっくら」行って来る軽さであるらしい。
カンは、外国の人が買春をしにタイに来ることも別に構わないと思っていた。
「月単位の長い間彼女らを拘束することは問題だが、一時間とかなら、全然問題
ないよ。たくさんの生活がそれで支えられているしね」

一方、タイでは、仏教の流れで、私的な男女関係において男性から女性に触れる
ことは厳しく禁じられているらしい。
(えせ?)仏教徒であるカンもそこのところは守っているという。
日本人からすれば、おかしな感覚だろう。
彼らにしてみれば、日本の感覚が分からないらしいが。

結局、売春宿まで連れて行かれた。
外見はびっくりだ。街の表に建ち、見かけはシティホテルのようだ。
彼は行ってしまった。「この後はストリップだぜ!」とうれしそうに。
なんて元気なんだ。
しばしの葛藤(「自分は買春はしない」という固定観念、そこから得ているプラ
イドとの闘い)の後、僕はサヨナラした。

流されるのは、嫌いだ。


犬シリーズバンコク編。
みんなで仲良くお昼寝

有名な安宿街に行く。
日本人がやたら多い。日本語が溢れている。
インターネットをつなぎ、自分のページを見る。
自分に帰る場所があることを確認したような気がして、安心する。
異国の地で出会う人達は誰も知らない。
日本での生活。その中で僕の頭の中で渦巻いてきたもの。
僕も、誰のことも知らない。
それは、安らぎでもあり、恐怖でもある。


庭師をやめて旅に来たK氏。ロッククライミングをしたいらしい。
美容師をやめて旅に来たJ氏。ヒマラヤを眺めながら某幻覚剤をキメたいらしい。
行く当てのない彼らを、タオ島へと誘う。
ダイビングライセンスをとりつつ、のんびりするのだ。
気の弱いK氏。彼もいつのま間にかダイビングをやることになっていた。


時の緩やかに流れる小さな島で、瞬く間に7日が過ぎた。

食事処は一時間待たせた挙句「オーダー無くしました」と言いに来た。
「今ごろ鶏の首しめてるんちゃうかー」という言葉が冗談でない世界。
犬が数匹海に足を入れてはしゃぎまわっている。
1週間の間、太陽と共に生きた。いつ以来か、分からない。


やしの木に挑戦!
こいつに登るのは意外とムズイ。

鶏や猫に大きな声で語り掛ける宿の主人。
何を話しているのだろう。僕らには奇声にしか聞こえないのだが….
彼は一日中、奇声を発しており、すべて働くのは奥さんだった。


ダイビングの免許を一緒に取った人、一緒にもぐった人、共に未知の世界を
体験することができて、よかった。
海の中に生きる無数の生物たち。
存在してくれて、ありがとう、とくさいセリフが頭に浮かぶ。
が、本当にそう思った。


景色のよい丘でぼーっとしている僕の横にバイクが止まる。
「俺がバイクで疾走してくるところをカメラで取ってくれないか。
かっこよくな。」
被写体がかっこいいとは思えなかったが、その後、イスラエルから来
ているという彼の後部坐席にまたがって、共に島を走った。


タオ島へ行くときにはぐれたイギリス人にばったりと出会う。
僕が無断でどこかに消えてしまったことにゆるやかに抗議された。
僕は意図的なものではなかったこと、本当は一緒に行きたかったということを
頑張って伝えようとしたが、残念ながら彼の心を静めるにはいたらなかった。
コミュニケーションの難しさを感じた。
語学力の問題か。文化的な問題か。それとも個人的な…。分からない。
こういうこともある。


見とおしのよい高台にある8時消灯の宿。
集まってきた旅人達が、一日中ただ景色を眺め、語る、歌う。

ハンモックで横になって島をぼーっと見つづける僕の横で歌を歌い続ける
宿の主人。さかんに煙を勧めてくれる。
奥さんがわざわざ僕のために焼き飯をつくれたりもした。

島の人々から聞いた。
「あそこのオーナーは人が良すぎでお金がとれなくてやばいことになってる
みたいだから、余裕があったらちょっと多めに払ってあげて」と。
貧乏旅行といえど、僕らに余裕がないはずはないのだった。

ここでも売春に誘われた。
「ワタシニホンゴチョットシッテル」(←これは英語)
彼女の知っている単語は3つだと言う。それは
「ち○ぽ」「い○ぽ」「き○ぽ」
3つ目のはなんなのだ?というか、教えたのは誰だ??


絶景。これぞ南の島といった感じ。

昼に決まって通った定食屋。
昼になると決まってそこにくる犬がいて、まとわりついてきた。
英語が通じないので、身振り手振りで頑張る。
毎回、オーダーしたものと違うものが運ばれてきたが、どれもうまいからいいや。

島を出て行くとき、いつもよりも大きな荷物を持つ僕を見て察したのだろう。
こっちに向かって大きく手を振ってくれた。うれしかなしかった。


舟から降り、バンコク行きの深夜バスまで3時間。
屋台で飯を食いつつ、ぼーっとしていると、バイクタクシーの運ちゃんが寄って
きて、僕の向かいに腰を下ろした。
「また、勧誘かな」と少しうざったく思った。
しかし、はじめに彼は身の上話をはじめた。
「プーケットに実家があるのだが、ここがリゾート化が進んだために物価が高く
なり、生活がとても苦しくなってしまった。休みもなく働きづめで、奥さんにも月に
一度くらいしか会えないんだ」
「プーケットでバイクタクシーをやるには、日本語ができないとだめなんだけれど、
このとおり、僕は英語でさえうまいとは言えない。それに、こんなおんぼろバイク
しか持っていないから、誰も乗ってくれないんだ。」
確かにバイクはおんぼろだし、英語もたどたどしかった。

「君は、もう行き先と乗り物は決まっているの?」

やはり勧誘なのだが、長い話を聞いた後、もう彼は他の人でもない彼なのだった。

彼の手は、手だけではなく顔までもが黒くすすけていた。
服はオイルで脂ぎっていて、ところどころが破けたりほつれたりしていた。
ぎらついた顔に浮かぶ表情は疲れきっていた。
悲しそうな目をしていた。
前歯が一本、大きく欠けていた。

僕は事実をそのまま述べた。
「バンコクへ行くバスを待っている。チケットも買ってある」
「ああ、そうなんだ」

彼は立ち去らなかった。
しばらく言葉を交わした。内容は覚えていない。
先に屋台を出たのは僕で、彼はなにも乗っていないテーブルを見つめて座っていた。

道を歩いている僕をおんぼろバイクが通りすぎて行く。
大きく左手をあげて、笑顔を作って。
その姿は遠くへ消えて行く。

彼と共にバンコクに行くことは不可能ではないことだった
そう、思いたくなかった。


チェンマイ行きの夜行バス。
夜行バスの連続で宿を取らない日が続いたが、久々にまともなベッドを取った。
といっても、一泊2人で400円くらいのところだが。
ここで会ったドイツ人はとてもかわいい女の子(推定5歳)を連れていた。
さかんに、ドイツのビールについて、タイの女性について熱演していた。

万国において、男にとって最大の関心事は女性であるということを旅において
実感した。東西洋などの区別無く、男ならばこの話に関心があるだろうし、話
せば盛りあがるだろうということをみんな、アプリオリに思っているようだった。


チェンマイ郊外で自転車を飛ばしていたら、
闘鶏に興ずる人々を発見。結構、残酷です。


こちらはプレステに興ずる坊主(くれぐれもnot me)。
ミスマッチ度100%

トレッキングツアーに参加。
山岳民族の村を訪ねて、二泊三日で山を歩く。
久々の遠足気分で、仲間との親睦が深まる。


犬と豚と鶏の共存する村。
子豚はやたらと臆病で、そしてかわいかった。

ダニー:ガイドしてくれた。「オカマ」という単語が大好きだったナルシスト。
いらんことしいの性格はみんなのネタとなって盛りあがった。カレン族の村で
彼は…お世話になりました。

ポーク(仮名):途中で合流した正体不明の犬。三日間、ずっと僕達の後をついてきた。
象に遭遇したとき、しっぽを丸め、ぶるぶると震えながら隠れていたが、それでも後を
つけてきた。
最後に車に乗って去る僕達を「?」という顔をしながら見送った。


市場で買ったパチもんGショックを象に踏ませる実験。
ベルトのネジがとれたが生還。
参考までに右はダイビングで死んだGショック。

メオ族:昼間っから村人総出で飲み会をしていた。観光収入があるからかどうか
分からないが、ともかくも恵まれた生活のように思えた。
酒をこぼした青年が一気のみをさせられていた。いずこもおなじか。

夜、豚と犬と鶏の共存するカレン族の村で焚き火を囲みながら、夕方から夜中まで
話しこんだ。
途中、順番で各自の国家を歌おう企画があったが、君が代はなんともまぬけで
恥ずかしかった。

イスラエル男性:哲学科博士過程在籍中、ニーチェ専攻なのであったが彼はユダヤ教信者。
哲学と宗教のはざまで揺れ動いていた。お互いに英語を母国語としていないので、つっこ
んだ哲学話はできなかったが、科学、宗教、戦争についてなど、意見をかわした。
「Look at the moon.」と彼は言い、僕達は空に浮かんだ美しい月を長いことみつめた。


なかなかの服装センスだ。

沖縄のT君:馬の調教師、保父さん兼業中。自称アル中、ギャンブル中目前の彼は、自
然にも人にもとてもやさしかった。絵本をもらった。
実家は教会だという。3人での長い宗教談義が終わると、彼は
「どうやら、僕は宗教から逃れられないみたいみたいだな。」とつぶやいた。

韓国女性:英文学専攻中だけあって、英語がうまかった。
ナナフシを見てびっくりする様子がかわいくて胸キュン(死語)。
恋愛話に花が咲き、彼女に韓国でのプロポーズの言葉を教わった
焚き火の傍らで横になる犬をなでながら、「明日の朝食はホットドッグだね」と言って
笑った。僕も笑った。
サラハムニダ


どんな話が展開しているのかも知らずに
のびきっている子犬

この他、
恋に悩む乙女、寂しがり屋の元気屋Y
いつも2人で絶妙のバランスのF&S
常になにかしゃべっていないと気がすまんらしいH
はりきりマッチョマンのナンちゃんもどき
みんなの個性が溶けあって、非常に楽しい三日間だった。
誰もが、子供がえりしていた。

バンコクに帰り、最後の夜を楽しむ。
マラッカやタオ島で出会った人達と再開した。別れを告げた。

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この他にも数え上げればきりがないほどの出会いがあり、同じ数の別れがあった。
その顔の特徴まで明確に思い出せる人もいれば、その存在すらほとんど忘れかけ
ている人もいる。
もちろん、すっかり忘れてしまい、頭の片隅にさえ登場しない人の数ははかりしれない。

今日も…
今日も、マラッカの人力車転がしは、日本人をみつけては「ワタシのムスメ、トウキョウ、
イル」と声をかけているのだろうか。
美しかったトゥバ湖のほとりで、二年間身に自由の無い彼は、あのせまい場所で何か
退屈凌ぎはないかと、探しまわっているのだろうか。
タオ島のあの宿では、おっちゃんがネコに向かって奇声を発しているだろうか。
歯の欠けたタクシードライバーはどこを走っているだろうか。相変わらず悲しい目を
しているのだろうか。
ダニーは、相変わらずくだらないことを言いまくって、みんなにあきれられられている
のだろうか。

帰りの飛行機の中。
窓から下に広がる地球の風景を見ながら、そんなことを考え続けていた。

彼らはもう二度と僕の人生に登場しないだろう。
僕はまた日常の生活に戻り、この旅のことを思い出すことも少なくなってゆくだろう。
そんな日も、彼らはこの地球のどこかで、同じ地面の上で、生き続けている。
彼らがもし死んだとしても僕の生活になんの関係も無いけれど―知ることもないけれど。
逆もまた。僕が死んだとしても、同じことだ。

僕は彼らと出会った。そして、何十億という人とは出会っていない。
いつか出会うかもしれない人もいるが、ほとんどの人とは出会わないまま死ぬ。
出会わないということは、存在しないということと同じことか…

ふと、僕が今、飛行機に乗って空を飛んでいるという事実がとんでもない奇跡で
あるかのように感じられる。
人類が長い間積み重ねてきた…名も無き人々の織り成してきた歴史。
空を飛んで遠くに行きたいと願った人々の努力。
そして、現在この飛行機のフライトを支える無数の人々。
さらにそれを支えた、支えている人々、そしてさらに……みんなだ。
僕は彼らと出会っていないけれど、彼らによって、今がある。
彼らによってしか、今はない。

日常生活のありとあらゆることは、そんな見えない人達の生によって成り立っていて、
自分も彼らの生の一端を担っていて。

ずっとずっと、考え続ける。

この涙は、感動の涙か?
悲しくはないはずだ。

自然はいつだって沈黙している。
しゃべりつづけるのは、僕の頭だけで…

涙は止まらない。窓に額を押し付ける。九十九里浜が見える。


旅での別れに執着しないのは、僕が日本に帰る場所を持っているから…帰りを待って
くれている人がいるということを知っているからなのだろう。
旅は人生の縮図であると感じたと冒頭に書いたが、人生もまたなにかの縮図であり、
生を終えた後にまたどこかへ―自然に、だろうか―帰って行く場所があるのかもし
れないなどと頭に浮かぶ。
何かがそこで待っていることを知っていたら、この世界に執着して苦しむこともなく、
人生という旅での一期一会を楽しめるのかな、なんて。

自分探しの旅。
自分なんて、どこに行ったってみつかりっこない。
そんなことは、知ってた。過去に旅人は何度でもそれを言っている。
いつでもどこでも自分は自分だ。
失われた自分をみつけようとするのも自分だ…そもそも何が失われたというのだ。
…でも、僕は見つけた。大切なものを。


旅に持って出た荷物を片付ける。
旅の前にはどこにでもありふれていた服、靴、鉛筆…。
一月を共にした今は、仲間。かけがえのない存在だ。

旅とはまさにトリップである。
この1ヶ月は永遠のように長く、一瞬よりも短かく、そう感じられた。
永遠とは一瞬であり、一瞬はまた、永遠である。
物理的な時間に意味はない。

そして、あたかも昨日からの続きであるかのように、日本での生活が再開した。

もしかすると、僕も誰かの書いた旅行記に登場しているかもしれないな、そうしたら
どんなキャラとして登場するのかななどと想像に胸を膨らませつつ、この旅行記を閉
じる。

最後まで読んでくれて、ありがとう。