二日目

8:30 頃起床。
ブロードウェイももうそろそろ見とかねばなと思い、チケット屋に。
宿からタイムズスクエアまでは徒歩一分。たくさん人が並んでいたので9時
オープンかなと思ったら 10時オープンだったので退散。みんなすごい。
帰りにサンドイッチを買って宿の共有スペースで食べてたら、この宿は日本人
だらけということが分かった。春休み+3連休だもんな。

タイムズスクエア前の交番。それにしてもこのポリスの量よ
朝は第2テーマ、メトロポリタン美術館。世界3~4大美術館の一つ。 バス停からセントラルパークの高密度走者をくぐり抜けて到着。さすがにでかい。 デモは 13時開始なのに、入館時刻はなぜかもう 11時近い。 まともに見ると一日じゃ見終わらないという話だったが、時間が無い。 しかし、ルーブルを数時間で走破した実績を持つ私に不可能は無い

美術館前の階段。ここから観察できるものは多く、のんびり座るのもよさそう
・・・はずだったが退場したのは 15時。 大英、ルーブルよりは狭かった気がするが分野が広くて飽きが来なかった。 特別展(ダ・ビンチ! すごい行列)も合わせて全部まともに見たら確かに一日かかる。 まあ、デモは 17 時までの予定らしいのでいいや。 けれど、バスでデモの出発地点に行ってみたら閑古鳥が鳴いていた。 通り道の Broadway はまだ閉鎖されていてビラやらの清掃中。 ポリスは新宿の週末「はい、歩行者天国の時間は終わり~」の感じで交通整理中。 「政府にお膳立てされた反政府デモ」の象徴図みたいなものをを見てしまって、 いきなり気持ちが冷めてしまった。

清掃済み。しらけ鳥が南の空へ向かう Broadway
それでも、行進到達地点のワシントンスクエアに行けば、と思いひたすら南下。 デモ帰りと思われる人とはすれ違うが、肝心のデモらしきものは見えず。 15万人の参加が見込まれているというのでもう15時だろうが道中すごいのかと 思っていた。 中間地点のユニオンスクエアでは犬のケンカ。大道芸人。(ドラッグ中毒で?)意識 混濁な人を笑い混じりで取り囲むポリス。 そして、1時間ほど歩いて目的地に着いたらさすがにそこは盛り上がっていた。

デモ中心地帯。ぶれているけれど、この高度を確保する困難を想像して許してください
しかし、そこは深刻な意思表明の場というよりはお祭り模様。 道を塞いで一番盛り上がっている主催団体と思われる一角とそれを車の上から 延々とカメラをまわすマスコミ軍団。 公園の中央で踊りまくる一団。人目見て分かるヒッピー継承者。 民族衣装、ドラム、ダンス、ビートルズ、瞑想・・・。

DRUMS NOT GUNS! まさにここは野外レイブ会場です
後はカメラとビデオを構える人々、野次馬に徹し始めたデモ参加者ばかり。 売店あり。マスコミの量以外は LOVE&PEACE の普通のお祭りとの違いが分からない。 お祭りの時間は 17時までと政府が決めているので、ポリスも通行止めに付き合って静観。 そして17 時。ポリスが敵に変わる瞬間。 いよいよ本番です皆様! (デモ隊) 『さあ権力よ!我々を弾圧するのだ! 平和志向の我々に対する権力からの荒っぽい弾圧を! 国内で、戦地で一般市民を踏みにじる戦争政府の象徴をここで再現しておくれ! (だけれど、月曜日の仕事に影響がでないよう程度にね) その様子をマスコミも観客も世界に伝えて反政府感情を煽っておくれ! そして我々の正しさを、最後に平和志向が勝つことを証明しておくれ!』 観客もマスコミも期待しています。 (ポリス)「'マーチ'の時間は終わりだ。道をあけなさい」という警告をテープで繰り返す。 (観客)『'マーチ'なんて言うなよ・・・もっと重い感じで頼むよ。 次の手段は?!』 観客とデモ隊はじらされたあげく、騎馬隊の登場によって報われます。 周囲はブーイングやらダースベーダーのテーマの合唱やらで挑発。 ようやく盛り上がってきました。

騎馬隊登場!
しかし、騎馬隊も特攻するわけでもなく、行ったり来たりのジャブのみ。 緊張感は思うように高まりません。 (ポリス) 『期待通りにはさせんよ。 この状況は折込済みで通行料の少ない道路に追い込んだわけだからね。 そのうち疲れて軟弱な手段でも「やられたー!」って道を空けてくれるんでしょ。 (ちなみに俺も就職は政府機関だけど、戦争に賛成というわけではない)』 さあ困りました。 デモ隊はいまさら動けず。自ら機動隊に食って掛かるわけにもいかず。 道を封鎖しているのだからいつかは何かしてくれるはずと思ってはいるが・・・ 以上は勝手な脚色入りだが、大意は間違ってないと思う。 当時私は NY 市警名物と知らなかったので、騎馬隊の登場の一瞬びっくりし、 ちょっとした非日常の世界へのトリップを味わった。 けれど、このデモは平和ボケ形成に必須の「豊かさ」に支えられた、筋書きが既に 用意されたイベントでしかないと思った。 「豊かさ」の産物。 ヒッピー達がムーブメント後期に悟り始めてモチベーションダウンさせたそれを 確認した気がした。 この状態が長く続いた。この先どうなるのか見てみたかった気もするが、なんだか 自分のやっていることが馬鹿らしくなってきて、最寄りのポリスに最寄りの駅を 聞いて去った。 チャイナタウンで食事後、20時の便で帰宅。 暖かくなったからか 22 時だからか、フィラデルフィアも人が多く今回は安全。 家に帰ってデモ報道を見るべくニュース番組にかじりつきました。 END


<デモ見て考えたこと> ベトナム戦争時、何年もかかって盛り上がった反戦デモ。 開戦理由はどっちもどっちだが、今回は開戦直後(あるいは前)に何十万という 人々が米国各地に集結。 インターネット普及の影響が主と言われているが、それは確かに広報手段として 大きな役割を果たしたと思う。 一方、その情報を能動的に求めて参加に至らせるまで人々を動かしたものもある。 ヒッピームーブメントと冷戦が終わり、イデオロギー時代の終焉。新世紀になっても 目新しいことはなく、永遠に日常が続いていくような閉塞した感覚。 その中で、久しく人々は物語に飢え、自分を動的な歴史への参加者として感じる ことのできる機会を求めていた、というような時代背景が関わっている気がする。 そんな人々の欲求をジェットコースター的に満たしてくれるイベントがこのデモ。 身の安全が確保されたスリル。 参加者の気持ちは明らかにイベント感覚だったと思う。 まあ、ともかくも集まった人々は反戦という点ではまとまっていたわけだ。 とはいえ、デモの参加者の主張はそれぞれ。 プラカードや床への落書き、掛け声からは以下の順番で多く主張が見られた。 1 とにもかくにも人の命を奪う戦争はだめ! 2 結局石油が欲しいんだろ? 3 国民の意思を無視するな! 記憶の限り見なかったが、他にぱっと思いつく反戦理由は - 国連無視していいのか? - イスラム圏差別が露骨じゃない? - 勝手にやっといて利権は自国、復興のお金は他国ってどういうこと?(主に外国人) - 自分がいつでも世界の中心にいて正しいと思うなよ!(同上) など。 もちろん、それぞれの理由はお互いに重なっているし、一人が一つの理由で戦争に 反対しているわけでもない。 スローガンとして、デモ参加者の意思の公約数である1の主張が最も多く掲げられていた。 だが、これは主張としては、説得力がまったくないことを確認したい。 今回の戦争を支持する人の言い分も「自国民の命(と世界の自由と平和?)を守るため」なのだから。 平和のための戦争なんてものは理由付けの常套手段であって、「平和のため」が 世界に通じうる数少ない模範解答だということはどんな権力者でも知っている。 ゆえに、彼らのデモ参加は主張としては意味がなく、政府を支持しないという意志表示 としてのみの意味となる。 それがデモでは実質一番重要なことだと思うが、「戦争はだめ」で結ばれて集まった 人々が一歩進んで「平和ってなに?どうやって平和を?」を話し合ったとしたら、喧喧 諤諤の議論になってしまうのだろうな、と想像することは、若干絶望的な気分にさせる。 平和が何かを定義した瞬間、平和でないものがそこに創造される。 世界でたくさんの平和が定義され、同時にたくさんの平和でないものが定義される。 人は、反戦を主張する時に平和の定義を主張していること、平和を主張する時には平和の ために排除すべきものの存在を同時に示していること、これを我々は知っておかなければ いけないと思う。 本当の反戦への道を求めるのであれば。 このような、人の心から価値が生まれて人間を操作するメカニズムは、伝統的な東洋の 人間考察に現れていた。 そうしたものに価値を見つけたヒッピー達の遺志は、ここに蘇る価値があると思う。 反戦歌の代表、ビートルズの All we are saying is give peace a chance は 我々に出発点を確認させるにすぎない。 そこからどこに向かうのか。 休日にイベントを探すのをやめて、静かの考察の時間を持つのも価値があることである。(自戒) END OF END